日本の自治体
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  • ニッポンの自治体
  • 2020.01.06
NO.249
京都府「木津川市」の特徴

特色ある取組みを行っている自治体に選定された文化学術研究都市

京都府「木津川市」の特徴とマンション

 京都府木津川(きづがわ)市は、近畿地方のほぼ中央、京都府最南端の山城地域に位置している。北は井手町、和束町、東は笠置町、西は精華町、南は奈良県奈良市と接している。同市域の北側と南東側に細やかなやさしい稜線を持った山地が広がり、その山地の間をぬって、市域の中心部を東から西に、そして市域の西端部で大きくカーブし、北へ向かって木津川が流れており、木津川に沿った地域に平野部が広がっている。総面積は85.13平方キロメートルだ。

京都府・木津川市のマンション

 2018年、京都府・木津川市で販売された中古マンション相場価格は1330万円~3990万円だった。

 2019年1月現在、京都府木津川市の人口は、同市の発表によると7万7188人で、そのうち外国人は560人だ。総世帯数は3万351世帯である。

 鉄道はJR奈良線、学研都市線、関西本線が木津駅で合流し、市域西部には近鉄京都線が走っている。また市域を国道24号が縦断し、横断する国道163号が走っている交通の要衝だ。
 京都・大阪の中心部から30km圏内に、奈良市内から8kmの位置にあり、前述の至便な交通網と相まって各都市のベッドタウンとして発展してきた。

平城京から現在の木津川市加茂町に都を遷し、恭仁京となった街

 木津川市は、京都府内で京都市に次ぐ数の国指定有形文化財を有する。ロマンあふれる文化財や豊かな自然・里山など、先人から受け継がれてきた資源がある。
 木津川市域では、3世紀ごろから木津川が水運交通路として利用され、淀川を通り大和と瀬戸内を結ぶ航路の起点となった。奈良時代には、木津が平城京などの都城建設の木材の陸揚げ港として栄える。「木津」という地名の由来だ。

 740年(天平12年)12月に、聖武天皇が平城京から現在の加茂町に恭仁京を置いて都を遷し、5年にわたって日本の首都とした地域である。その後も都と関連の深い地域として発展した同市域は、近郊農業の地として発展する素地ができた。

 江戸時代、地域は奈良や京都、伊勢、伊賀を結ぶ街道の宿場町として発展し、宇治茶やタケノコなどの主産地としての名声を高め、豊かな農業地域として栄えることとなった。また、木津川の治水事業や農地の拡大などが進められ、現在のまちの姿に近い集落に発展した。

 明治時代になると鉄道や道路の交通網の整備が進められ、木津川の水運としての役割は小さくなった。また、茶の栽培や大都市近郊の立地条件を生かした近郊農業がいよいよ盛んになる。

交通至便な街が、京都、大阪、奈良のベッドタウンとして発展

 1951年(昭和26年)に旧木津町と旧加茂町が合併前の状態となり、1956年(昭和31年)に旧山城町が誕生した。質の高い都市空間が整備され、京都、大阪、奈良のベッドタウンとして、人口が急増した。

 2005年(平成17年)4月に木津町・加茂町・山城町合併協議会が設置され、約2年間の合併協議を経て、2007年(平成19年)3月に「木津川市」が発足した。

 経済産業省では、2008年(平成20年)3月、企業立地に積極的・先進的な自治体を全国の市町村から募集・選定し、その取組みを「企業立地に頑張る全国20自治体及び特色ある取組みを行っている12の市町」として事例集にまとめられ、木津川市が「特色ある取組みを行っている12の市町」のひとつになった。
 評価された取り組みのひとつが、旧木津町において、昭和60年代以降、関西文化学術研究都市の建設が進められ、先進的な研究施設が立地するとともに、国家プロジェクトである「関西文化学術研究都市」の一翼を担う都市として建設が進められてことだった。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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