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  • 2020.04.23
NO.273
東京都中央区「月島」の特徴

下町情緒と最先端の住環境、ウォーターフロントが融合する「月島・佃」

東京都中央区「月島」の特徴とマンション

 下町情緒溢れる古い街並みや狭隘な裏路地に結ばれた「もんじゃストリート」と呼ばれる商店街などで海外からの観光客も多い街、月島。
 月島の歴史はそれほど古くはない。街が出来たのは1892年(明治25年)、時の東京府による「東京湾澪浚(みおさらい)計画」で埋め立てられて出来た土地だ。隅田川が上流から運んできた土砂が河口付近の東京湾に堆積して水深が浅くなり、船舶の航行に支障を来すため、浚渫(しゅんせつ)した。その土砂を埋め立てて出来上がった人口島だ。

かつての埋立地「月島」は東京・重工業を担った街

 完成した「月島1号地」、現在の月島1丁目から4丁目は、殖産興国という名の国策により重工業化が進められ、隣接する石川島播磨造船所に関連する鉄工所や機械工場が多く点在し、隅田川や運河の沿いには海運業や倉庫が立ち並んだという。それにより多くの労働者がこの地へ流入、工業地帯でありながら近接する住宅地としても人口が急増、路地裏には従業員たちが住む木造住宅が密集していった。

 その後、1894年(明治27年)には月島2号地、3号地と埋め立てられ「勝どき」ができ、昭和になって月島4号地が完成し「晴海」となる。

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大阪・摂津・佃村の名主孫右衛門ら漁夫が移住した佃島

 一方、月島の北、隅田川が晴海運河とよぶ支流と分かれる河口の三角州からなる島が佃島だ。石川島、月島と隣接する。佃島は現在の佃1丁目にあたり、石川島は佃1~2丁目となった。

 かつて名もない小さな島だったが、江戸初期、1624年ごろに徳川家康との縁故によって特別な漁業権を得た、摂津(大阪府)西成郡佃村の名主孫右衛門(まごえもん)ら漁夫が移住し、郷里の名「佃島」と呼んだ。同地名産の佃煮は江戸名物として現在に至っている。対岸の明石町との間で「佃の渡し」が運行され、最後の隅田川の渡しとして1964年(昭和39年)まで続いたが、佃大橋の完成で廃止される。

 月島と周辺地域との往来は、すでに1892年(明治25年)に対岸の築地と月島の間を渡し船「月島の渡し」で行なわれ、船着場に近い月島の西側地域に人が集まり、自然と商店街になっていったという。
 そして清澄通りより西側の西仲通りで、明治末に商店街らしい形になった。これが「月島西仲通り商店街」の発祥だ。

 1901年(明治34年)「月島の渡し」は東京市が市営化し、1902年(同35年)に汽船曳船2隻で交互運転を開始、乗船料も無料となった。月島は東京の臨海工業地帯として発展し、1940年(昭和15年)には勝鬨橋が架橋され、月島の渡しは廃止される。

 大正から昭和初期にかけて月島地区は全盛期を迎える。人口は増え続け、区画整理された路地には長屋が立ち並び、商店街も一層の賑わい街の中心的役割を果たす。現在の月島の古い街並みは太平洋戦争の戦災を免れ、往時の面影が色濃く残っているのだ。

地下鉄開業でタワーマンション建設ブームを迎える

 工業地として発展した月島だが、戦後は都心への鉄道アクセスから見放された通勤困難地で、1978年には石川島播磨重工業が撤退、人口は激減する。その月島・佃で再開発ラッシュが起き、タワーマンション建設ブームを迎えるのは東京メトロ有楽町線が開通した1988年以降だ。現在は都営地下鉄大江戸線も乗り入れ、都心へのアクセス性は飛躍的に高まっている。

 同時に、それまで月島周辺に密集していた町工場や倉庫は次々と高層マンションに建て替えられ、建築基準法をクリアできない古い木造住宅は建て替えができないために街区一体が丸ごと取り壊されるなど再開発が急ピッチで進んだ。ただ、新しい建物ができる一方で、前述したように昔ながらのレトロな街並みが、たくさん残っているのも月島の大きな魅力となっている。

石川島播磨造船所の跡地再開発が街並みを激変

 一方、移住魚民で賑わった佃島だが、明治になって隣接する旧石川島の石川島造船所が民間に払い下げられ石川島播磨造船所(IHI)となり、近隣の月島の工場・倉庫群がサプライヤーとして機能して発展する。が、1979年(昭和54年)にIHIは操業停止し建物は解体された。
 その跡地は、1986年から90年代にかけて三井不動産、住宅都市整備公団(都市再生機構)などが主体となって、都心回帰のニーズを捉えた8棟の超高層住宅を中心とする大規模再開発「大川端リバーシティ21」として整備された街区となった。個々のマンションは高さやデザインを少しずつ変えつつ、全体として統一された外観を持ち、街全体としての評価は高く、調和のとれた景観となっている。8棟の総戸数は3800戸に達する。

 都心へのアクセス至便な住宅地へと変貌を遂げた月島・佃エリア。2020年4月現在、中央区の住人の2割弱が、このふたつのエリアに住んでいる。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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