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  • 2020.04.23
NO.275
東京都中央区「銀座」の特徴

世界のクオリティブランドとモード、伝統工芸が揃う、ショッピングストリート「銀座」

東京都中央区「銀座」の特徴とマンション

 日本有数の繁華街である銀座。全国区の繁華街を軽々と跳び越え、世界的にも有名な屈指の高級商業地だ。銀座は中央区の西部に位置し、北側から銀座1丁目、港区新橋に接する銀座8丁目までで構成された街区で、総面積が0.87平方キロメートル。「銀座」は日本を代表する“地域ブランド”である。

北東から南西に貫く中央通りを軸に設計された街区

 発祥は江戸時代、銀貨幣の鋳造を行う「銀座」を、江戸幕府が1612年(慶長17年)に駿府(静岡市)から江戸のこの地に移して置いたことが地名の由来だ。

 なお、江戸城外堀を埋め立てた上を走る東京高速道路の1・2階部分はコリドー街や銀座ナイン、銀座インズなどの商店街となっているが、行政区画が未確定な部分もあり、俗に銀座9丁目、あるいは1930年(昭和5年)の区画整理から用いられた銀座西2丁目などから2丁目地先などと呼んでいる場所もある。同様に、西銀座という名称を使った商業施設も多い。また、銀座4丁目と5丁目を除き、1番地が存在しない。

 街路は北東から南西に貫く中央通りを軸路線として設計された街区だ。近代になってから都市計画に基づいて整備が進み、関東大震災を経て東側に昭和通り、西側に外堀通りがつくられ、それらと直行する恰好で数寄屋橋から歌舞伎座を経て勝どき方面に向かう現在の晴海通りが整備された。
 1930年(昭和5年)3月の都市計画で、現在の晴海通り北側の4町域を銀座1丁目から銀座4丁目に編入した。また、現在の晴海通り南側の9町域を統合して銀座5丁目から銀座8丁目とし、加えて、銀座地区と外堀に挟まれた18町域を統合して銀座西1丁目から銀座西8丁目とした。後に木挽町を銀座東とした。1968年、69年に実施した住居表示により銀座西・東を削除、すべて「銀座1~8丁目」に統合して、ほぼ現在の街となった。

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関東大震災後、地下鉄開業などで先端商業地として発展

 銀座が商業地として発展するのは関東大震災後だ。国の援助を受けた東京市は、大規模な首都復興を実施し、都市機能の拡充を行った。地下鉄銀座線の開通や、東京駅の開業に伴って銀座には百貨店や劇場、多彩なカフェーなどができ、昭和初期にはモダンボーイ&ガール(モボ&モガ)が闊歩するアールデコ調のお洒落な街となった。ちなみに銀座線、銀座駅の現在の電車発車メロディは「銀座カンカン娘」で、日比谷線は「銀座の恋の物語」だ。

 その銀座も第二次世界大戦大空襲で、壊滅的な損傷をうける。銀座が初めて大規模な空襲を受けるのは戦争末期の1945年1月27日、5丁目の泰明国民学校も空襲被害を受け教職員に死傷者が出る。その後も3月10日、4月28日、5月25日の空襲で銀座は6丁目の一部と7・8丁目を除いて壊滅的な被害を受ける。
 ただ、戦後の復興は急速だった。なかでも1964年のオリンピック開催に向けたインフラ整備は当然ながら銀座にも波及し、銀座地区は高速道路に囲まれる。

江戸の伝統と世界のハイファッションが交錯する街

 現在の銀座は、世界のハイブランド・ショップが軒を並べるショッピングストリートで、そうした意味では東京・表参道と拮抗する。が、銀座の魅力は江戸の伝統と技が活きる老舗の街という側面も持っていることだろう。そこには明治期から政界や財界の重鎮たちが通う超高級背広のテーラー「壹番館」や和装「ますいわ屋」、文具の「伊東屋」や伝統工芸ともいえる商材を扱う「鳩居堂」などの伝統ある専門店が健在だ。いまだに銀座商店会のプライドは生きているようだ。

 銀座の人口は1908年(明治41年)には2万7000人あまりだったが、1998年に2963人まで減少した。その後は都心回帰傾向からマンション建設ラッシュで、増加傾向にあり2019年9月現在、3608人だ。
 なお、2019年3月に国土交通省により公開される地価公示をみると、地価がバブル期の1991年(昭和62年)の地価よりも2019年(平成31年)に上昇している街は全国で3つ、銀座、武蔵小杉、倶知安(ニセコ)だった。ここで銀座周辺(銀座駅が最寄となる標準値)の公示地価の平均値を示すと、バブル期の1991年(平成3年)に1平方メートルあたり3150万円だったが、2019年(平成31年)には3765万円と上昇している。

銀座唯一の公立「泰明小学校」は中央区特認校

 ところで銀座には中央区立小学校がひとつ、1878年(明治11年)創立の伝統校「泰明小学校」があり、銀座1丁目から4丁目の一部と5丁目から8丁目の全域が通学区である。同校は、中央区が指定する特認校だ。特認校とは、学区外からも通える公立の小学校で、泰明小学校は毎年抽選となる。このため少人数教育の超名門校と見られることが多い。現在の校舎は関東大震災後に建てられた鉄筋コンクリート造り3階建で、東京都選定歴史的建造物、同時に経済産業省の近代化産業遺産にも指定されている。
 2018年の新入生から標準服(準・制服)をイタリアの大御所デザイナー、ジョルジオ・アルマーニに依頼したことで物議を醸した。標準服は強制ではないが、父兄にはおおむね好評のようで、入学前に採寸を済ませ、バッグや小物を含め、総額およそ8万円を支払い、2018年の入学者55名全員が購入・着用したという。


吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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