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  • 2020.04.24
NO.280
東京都港区「芝公園」の特徴

芝・増上寺の広大な境内だった「芝公園」を借景とするきわめて良好な住環境

東京都港区「芝公園」の特徴とマンション

 芝公園一帯は、江戸時代には増上寺の境内であった敷地が、1873年(明治6年)の公園制定の太政官令によって公園として開放された日本最古の5公園のひとつだ。第二次世界大戦後、政教分離政策のために増上寺と切り離され、敷地の外周部分は都立芝公園となる。この一角は現在、港区立芝公園となっている。
 その芝公園は、2004年度に区民の意見を出し合うワークショップによって基本計画がつくられ、2006年度にそれをもとに整備が実施された。約1万3500平方メートルの面積を有する、歴史と文化に囲われた広大な公園だ。
 現在、増上寺、東照宮、東京プリンスホテルなどを取り囲むように開園区域が連なり、東京を代表的するランドマークである東京タワーも至近だ。芝公園や増上寺などの緑と一体となって、都心の景観を引き立てる。

地下鉄4駅+JR駅、交通アクセス抜群の芝公園周辺エリア

 芝公園を中心とする芝公園エリア周辺は、多くの高級マンションが立ち並ぶ良好な住環境として人気の地域でもある。また、田町・浜松町といった周辺地域も大規模な再開発が進行しており、注目のエリアと言える。
 エリアへのアクセスは至便で、JR山手線「浜松町」、都営地下鉄三田線「芝公園」、同「御成門」、都営地下鉄浅草線・大江戸線「大門」、都営地下鉄大江戸線「赤羽橋」などが利用できる。

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徳川家の庇護で大寺院に発展する増上寺

 ところで増上寺は、浄土宗の七大本山のひとつだ。酉誉聖聰(ゆうよしょうそう)上人によって、江戸貝塚(現在の千代田区平河町付近)の地に、浄土宗正統根本念仏道場として創建されたのが始まりとされる。
 その後、1470年(文明2年)に勅願所に任ぜられるなど、増上寺は、関東における浄土宗教学の殿堂として宗門の発展に寄与してきた。

 1950年(天正18年)、徳川家康が関東の地を治めるようになってまもなく、徳川家の菩提寺として増上寺が選ばれた。その理由は、家康公が当時の住職源誉存応(げんよぞんのう)上人に深く帰依したためと伝えられる。
 1598年(慶長3年)に現在の芝の地に移転。江戸幕府の成立後には、徳川家康の手厚い保護もあり、増上寺の寺運は大隆盛へと向かう。

 17世紀中頃の増上寺は、広大な寺有地に120以上の堂宇、100軒を越える学寮が甍ぶき屋根を並べる大きな寺となる。当時は、3000人以上の学僧による念仏が、全山に鳴り響いていたと伝わる。
 徳川将軍家墓所となる増上寺には、二代秀忠公、六代家宣公、七代家継公、九代家重公、十二代家慶公、十四代家茂公、六人の将軍の墓所が設けられている。

 なお、芝公園4丁目の「芝大門」は増上寺の総門・表門にあたり、地名の由来にもなっている。現在建っている門は国道の通行整備のため、1937年(昭和12年)に原型より大きなコンクリート製に作り直された。旧大門は1598年(慶長3年)に江戸城の拡張・造営にあたり、増上寺が芝に移転した際、それまで江戸城の大手門だった高麗門を、徳川家康より寺の表門として譲られたものだ。旧大門は1923年(大正12年)の関東大震災で倒壊しかかったため、両国・回向院に移築されたが、昭和20年の東京大空襲により焼失してしまった。

芝公園に隣接する港区立御成門小学校

 芝公園に隣接する港区立御成門小学校は各学年2学級編成で、通学区は芝公園1~3丁目全域、芝公園4丁目7番~10番、愛宕1丁目~2丁目全域、麻布台1丁目11番、芝大門1丁目~2丁目全域などだ。世帯年収は、区立南山小学校、同本村小学校に次いで3位の1268万円とかなり高い。
 同小学校の歴史は旧く、その前身は1870年(明治3年)に当時の東京府が、初めて東京に設置した小学校6校のひとつである「東京府小学第一校」だ。その後、1873年(明治6年)に学制が施行され「第一大学区第一小学 鞍絵学校」となる。

御成門駅に隣接する旧ナショナルビルの建て替え事業

 住友不動産が、都営地下鉄三田線「御成門」駅直結、日比谷通りに面する御成門交差点の角地において再開発を進めていた高層オフィスビル「住友ビル不動産御成門タワー」が2018年に竣工した。
 この場所には従来、松下興産と住友不動産が共同で建設した旧ナショナルビルが建っていた。1975 年(昭和50年)の完成以来、松下電器産業(現パナソニック)の東京本社として 30年以上使われていたビルであった。その後、持ち分を取得した住友不動産が2015年10 月に建替え工事を実施していた。出来上がった新ビルは、災害時におけるBCP対応設備として中間免震構造の採用、自立分散型エネルギー供給システム導入などの最新スペックを備えたビルに生まれ変わった。
 この再開発では、駅直上の立地における都市開発の公共施設整備として、地下鉄「御成門」駅と地下で接続、バリアフリーの新出入口を敷地内公開空地に設け、敷地周囲の歩道状空地やピロティにより、来街者にも安全で快適な空間整備となっている。

 ちなみに、港区には「芝」を町丁名とする港区芝1丁目から5丁目までの地域がある。JR田町駅三田口から都営地下鉄の芝公園駅の隣、三田駅周辺に拡がるビジネス街だ。メインストリートから一本裏通りに入ると住宅街が混在し、近年では芝パークタワーやパークハウス芝タワーなどの高層マンションが増えている。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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