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  • 2020.05.13
NO.283
東京都港区「表参道」の特徴

世界のハイブランドが揃う「表参道」至近の住宅地、北青山3丁目、南青山5丁目

東京都港区「表参道」の特徴とマンション

 東京・表参道は渋谷区代々木公園の明治神宮の参道であり、明治神宮の神宮橋交差点から青山通り(国道246号)にいたる都道413号だ。現在は言わずと知れたグローバルなハイブランドの店舗が並ぶ国際的なファッションストリートである。住所は南寄りの一部、表参道交差点から最初の横断歩道橋までの両側が港区北青山3丁目(ただしApple Storeは神宮前)で残るエリアは渋谷区神宮前だ。

 その表参道は明治神宮が創建される前年、1919年(大正8年)に東京市が整備した。その設計において、冬至の朝、明治神宮から起点の国道246号・青山通りの交差点方向に向かって、表参道には道路の延長線上から真直ぐ太陽が昇る構造とした。
 表参道の街路樹はケヤキ並木で、クリスマスのイルミネーションが有名だが、明治神宮鎮座時には街路樹は無かったという。翌年になってケヤキの若木200本が、植樹されたと伝わる。
 地域として「表参道」と表現する場合、JR原宿駅前から明治通り交差点を経て、地下鉄表参道駅、さらに参道の延長線上にある根津美術館付近、骨董通り周辺まで含むことが多い。

北青山3丁目「表参道」駅、同潤会アパート

 東京メトロ「表参道」駅は、港区北青山3丁目地下に位置する地下鉄駅だ。同駅に乗り入れている地下鉄は古い順に、銀座線、千代田線、半蔵門線の3線で、平均乗降客数が20万人/日ほどのターミナル駅ともいえる地下駅だ。1938年(昭和13年)に駅が開業した当時は「青山6丁目」という駅名だった。

 1927年(昭和2年)、表参道北側、現在の表参道ヒルズの敷地に財団法人による「同潤会・渋谷アパート」(後の青山アパート)が完成。鉄筋コンクリート3階建て10棟のアパートは、当時、軍人や高級官僚、大学教授などしか入居出来ない高級集合住宅だった。
 第二次大戦では、東京大空襲などで表参道も甚大な被害を受け、多数の死者を出す。表参道一帯も焼け野原となった。しかしながら、耐火・耐震構造の同潤会青山アパートはこの戦禍にも耐えて焼け残り、敷地内の広場にあった井戸も生活用水として住民以外にも開放されたという。鉄筋コンクリート建築が、都市の防火帯となったことで、同潤会アパートの性能の高さを証明した。

 終戦後、同潤会アパートはそれまでの所有・管理者だった同潤会から東京都に移管され、1950年には居住者に払い下げられた。個人の所有となったアパートは、その後の表参道の発展とともに所有者が移転して、1980年代のバブル経済絶頂期には億の単位で取引されたという。このころまでは、表参道の一筋裏手の北青山には木賃アパートなども残っており、普通の銭湯が2軒残っていた。が、バブル期に姿を消した。余談だが有名な「とんかつ・まい泉」本店は、もと銭湯だった。青山本店を名乗るが住所は神宮前だ。

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「御幸通り」「骨董通り」「根津美術館」の囲まれた住宅地

 その表参道は都道413号として青山通り交差点からさらに伸びており、根津美術館までの通りを旧くから「御幸(みゆき)通り」と呼んでいたが、1975年に完成した閑静で瀟洒とも言えるファッションビル「From 1stビル」に因んで、ファッション業界で「フロムファースト通り」と呼ぶようになった。From 1stビルは1976年の日本建築学会賞を受賞している。この道が「御幸通り」と呼ばれた理由は、明治神宮に参拝した天皇が宮城(皇居)にまっすぐに帰るために設計、そこで「御幸」とされたという。

 そのフロムファースト通り両サイドも、表参道と同じようなファッションの店舗が並ぶが、その裏手から骨董通り付近まで、いわゆる青山・表参道の住宅街が拡がる。この骨董通りと御幸通りに挟まれた南青山5丁目エリアには戦後になって文人やアーティストが数多く住んだ。あの「太陽の塔」で有名な岡本太郎も自宅兼アトリエを構え創作に専念したという。現在アトリエは「岡本太郎記念館」として公開されている。

2020年夏竣工予定の「北青山3丁目地区まちづくりプロジェクト」

 なお、表参道駅から至近の北青山3丁目では、東京都都市整備局が再開発「北青山3丁目地区まちづくりプロジェクト」を進行中だ。これは、青山通りから一歩隔てた約4ヘクタールの土地に建っていた都営青山北町アパート群の再開発。表参道駅から200mという至近立地に建っていた25棟586戸の建替え再開発プロジェクトだ。
 これまでの都営住宅を高層・集約化して建て替えるとともに、低層部に保育園と児童施設を併設し、児童遊園を整備する。
 また、創出用地を活用して、民間力を活かしつつ、青山通り沿道との一体的なまちづくりを推進し、周辺の豊かなにぎわい、文化・緑をつなぐ最先端の文化の発信拠点を形成する。
 東京建物を代表企業とし、三井不動産、三井不動産レジデンシャル、鹿島建設、前田建設工業、東京建物シニアライフサポートが事業を実施している。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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