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  • 2020.05.15
NO.285
東京都渋谷区「代々木上原」の特徴

区内で標高が最も高いエリア、低層住宅でも渋谷・新宿ビル群を眼下に見られる

東京都渋谷区「代々木上原」の特徴とマンション

 代々木上原と一般的に呼んでいるエリアは、現在の住居表示で表すと、おおむね上原1丁目~3丁目のほか、元代々木町、西原1丁目~3丁目に大山町の一部を含むエリアを指す。旧・代々木村に所属し、その中央部から西部にかけての地域である。

 地名を上原に絞って概観すると、上原1丁目~3丁目は、小田急線の南にひろがるエリア。西側で世田谷区北沢に南が目黒区駒場となる。最寄り駅は小田急線・代々木上原駅もしくは東北沢駅だ。一帯は都内有数の高級住宅地を構成している。これは、関東大震災で被災した都心の富裕層が移り住んだことが、大きな要因だとされている。加えて、駒場公園など恵まれた緑地が近隣に多いことも挙げられる。

 その駒場公園は目黒区駒場4丁目にある目黒区立公園だ。旧公爵・前田利為の邸宅が残り、旧前田邸(公園)と呼ばれることもある。昭和初期に建てられた洋館・和館は共に良好に保存され、国の重要文化財に指定されている。指定名称は「旧前田家本邸」である。

上原……後の帝大農学部「駒場農学校」跡地に旧・加賀藩主、前田邸が

 かつて一帯に後の東京帝国大学農学部たる駒場農学校があった。農学部はその後、本郷に移転した。入れ替わるように跡地には、それまで本郷に屋敷を構えていた旧加賀藩主・前田家の屋敷が建つ。第16代当主である公爵・前田利為の駒場本邸として1929-1930年にかけて竣工。戦前の一時期に中島飛行機本社がおかれたこともあった。

 先の大戦・敗戦後は駐留軍である米軍に接収され、1957年(昭和32年)に解除されるまでの12年間、連合軍極東司令官の官邸などとして使用された。
 その後、1964年(昭和39年)に東京都の所有となる。邸地は公園として整備されて1967年(昭和42年)に東京都立駒場公園として開園。公園の一角には日本近代文学館が開設され、日本の近代文学に関する資料が閲覧可能だ。1975年(昭和50年)に目黒区に移管となった。

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小田急線北側エリアの西原、大山町

 西原1丁目~3丁目は、小田急線・代々木上原駅北側の一帯のエリアだ。町域の北で甲州街道を挟んで渋谷区本町に接する。北西部は渋谷区幡ヶ谷、南西部は渋谷区大山町に、南部で小田急線を境に渋谷区上原にそれぞれ接する。町域内のほとんどが住宅街であるが、公共施設も目立つ。

 渋谷区大山町は、渋谷区に多い「◎丁目」の設定がない単独町名だ。南側に小田急線が走り、それを境に上原と接している。渋谷区内でもっとも標高が高いエリアで、渋谷や新宿の高層ビル群を眼下に眺めることができる。近隣に松濤や南平台などの有名な住宅街もあるが、大山町も知る人は知っている高級邸宅街だ。松濤や南平台と同じく高台に位置し、明治時代の頃から富裕層が住む街となった。あまり耳にしないのは、大山町には何代にも渡り住み続け、その土地を手放さない住民が多いとされているからだとされる。

 エリアは高台にあるだけでなく、地震にも強く堅牢な地盤であり、1923年の関東大震災の被害はきわめて軽微だったといわれ、地震への強さが評判となり、近代に次々と宅地が整備されていった。震災後の都心被災地から移転する住宅需要の高まりに大山園分譲地として分譲された場所が多い。

 現在の大山町一帯は江戸期まで、森で囲まれた地域だった。その土地を切り開いたのが明治維新でも著名な長州出身の木戸孝允(桂小五郎)だ。明治初期に木戸孝允が農園として所有し、その後、明治政府の高官らに所有者が代わり、1913年に鈴木善助によって7万6,000坪にも及ぶ和風庭園をメインとする「大山園」が開設された。これがまさに「大山」という地名の由来だ。大山町はしばしば「徳川山」と呼ばれる。これは「大山園」の後の所有者が、紀州徳川家第15代当主であり政治家・実業家でもあった徳川頼倫だったからだ。

 大山町は全般に区画割や道路幅が統一されており、街並みが整っている印象を受ける。大邸宅と整えられた町並みが大山町の価値の裏付けのひとつであることは間違いなさそうだ。徳川山分譲地、前田家分譲地、徳川亭跡地分譲地など、まとまった土地が分譲され、同時期にこれらと同規模の宅地開発が進められてきたため、細分化されていない贅沢な街並みは喧騒感と無縁だ。

小田急線の地下化にともなって変貌するエリアの東端

 現在、小田急線の東北沢以西が地下化され、その地上に出現した土地の利用法に注目が集まっている。東京都ならびに世田谷区によれば、東北沢駅周辺地区は「文化発信ゾーン」とし、「既存の街の個性・雰囲気と融合する上質なライフスタイルを意識した施設」として住居・商業・業務系施設などを設ける。その先の一大繁華街である下北沢駅周辺地区は「シモキタショッピングゾーン」とし、今後整備される駅前広場との連続性や駅からの回遊性を高める店舗を展開するという。

 また、世田谷区の発表によると、歩行者や自転車などが利用できる通路を線路跡地に整備し、災害発生時には緊急車両も走行できるようにする。環状七号線との交差部には、通路の連続性を確保するため歩行者・自動車専用の横断橋を整備する。線路跡地の周辺は建物が密集していて緑が少ないことから、通路に加えて緑地や小広場、立体緑地も整備するという。

 東北沢駅至近の第一種低層住居専用地域の渋谷区上原三丁目1045番で、小田急不動産、大和ハウス、三菱地所は協働で地上4階建ての低層マンション「リーフィアレジデンス上原」の開発が進む。専有面積100平方メートル中心で、全65戸、竣工は2021年2月上旬を予定。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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