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  • 2020.07.30
NO.316
東京都世田谷区「二子玉川」の特徴

二子玉川高島屋SCの進出が、大きな変貌を呼び込んだ人気の郊外型商業地&住宅街

東京都世田谷区「二子玉川」の特徴とマンション

「二子玉川」は世田谷区南部の多摩川沿いに位置する。東急田園都市線・大井町線の「二子玉川駅」周辺だが、瀬田や野毛、上野毛あたりまでを指す場合が多い。国内初ともいわれる郊外型SC「玉川高島屋SC」発祥の地でもある。通称「ニコタマ」とも呼ばれる。

 二子玉川郷土史会の編纂資料によると、その「二子玉川」名称は、多摩川対岸(右岸)にかつて存在した二子村、世田谷区側の玉川村の合成地名であり、多摩川にあった「二子の渡し」も由来しているとされる。玉川電気鉄道(たまでん)の停車場と目黒鎌田電鉄(現・東急電鉄)の大井町線延伸に伴ってできた結節点に、駅を開設した際に名付けた駅名が地名になったというわけだ。多摩川対岸の神奈川県川崎市に前述のように「二子」という町があるが、「二子玉川」には一般的に含まない。

はじまりは玉川電気鉄道の「玉川駅」だった

 1907年(明治40年)、玉川電気鉄道の「玉川駅」として開設。東京横浜電鉄が合併後の1929年に「二子玉川駅」となる。経営していた玉川第二遊園地(二子玉川園)が読売新聞社とタイアップし、「読売遊園」に改称したのに伴い、駅名も「よみうり遊園駅」に変わった。その後も曲折があり「二子読売園駅」に、また戦局の悪化で遊園地が閉鎖され「二子玉川駅」に改称。戦後遊園地が復活し「二子玉川園駅」となった。2000年に「二子玉川駅」に再改称となった。

 エリアの北側は緩やかな丘陵地帯で南側を流れる多摩川、そこへ合流する支流の野川を含めて区内でも多くの自然が残る緑豊かな住宅地である。多摩川の整備された河川敷や緑地には運動場のほか、未整備の原野も残り、なかでも兵庫島公園周辺には緑地が多い。兵庫橋は野川に掛かる橋で、駅から緑地に行くための主なルートのひとつだ。二子橋の橋梁下付近では、土日になると早朝から大勢の人が詰めかける人気スポットだ。

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新しい郊外型SC玉川高島屋の進出で変貌する街

 エリアが大きく変貌したのは、日本初の実験的とも云える本格的郊外型SCとして、1969年に玉川高島屋が開業して以降だ。駅西口側に建てられた同SCは、大型駐車場ビルの整備や70年代後期に高級ファッションブランドが入居した東館などの別館開業で、近隣の住宅地だけでなく自由が丘や田園調布、成城などのほか、神奈川県からクルマを利用して来店する顧客・来街者──アッパーミドルたちで賑わう一大商業施設となった。玉川高島屋周辺は週末になると慢性的な交通渋滞を引き起こしている。

 特徴的な売場は、地下の食料品売場と上層階のレストラン街だ。いわゆる郊外型スーパーの食品売場&飲食部門とは比較にならない構成で都心型百貨店の上品さを追及・訴求する空間といえる。京都の高級料亭や広東料理の人気店、さらに和菓子有名店の新業態店鋪など、感度と鮮度の高いテナント構成は、もはやひとつの高度な飲食店街と呼んだ方がいいスペースで、滞留性を高めた売場づくりを行っている。レストランフロアの核テナントも、公共スペースとの一体感を重視した明るくゆったりしたつくりが特徴だ。

二子玉川園跡地で進められた都内随一の再開発、ライズの竣工

 1992年から2006年まで駅東側の再開発が本格化するまでの間、1985年に閉鎖した二子多摩川園跡地に二子玉川タイムスパークが存在していた。工事開始までの期間において敷地を有効活用しようというものだった。ナムコ・ワンダーエッグが中心となった期間限定をうたった施設である。敷地内にいくつかのテーマパークやスポーツ施設など複数の施設があり、個々に敷地を借りて施設を設置・運営していた。後述するように2005年に認可を受けた再開発が、2006年以降に工事が本格化し、内部施設はほぼ全て閉鎖された。

 2000年以降、80年代の半ばに二子玉川園が閉鎖されて以降、仮の事業が繰り返しスクラップ&ビルドされ、開発が遅れていた駅東口で大規模な再開発が始まる。発端は2003年に閉鎖された結婚式場「富士見観会館」の跡地に高層マンション「プラウドタワー二子玉川」の建設計画だった。
 2005年、東京都より第1期事業施行地区の事業認可を得た「二子玉川東地区第一種市街地再開発事業」は、東急不動産が中心となって進められ、開発面積は10ヘクタールを超える民間再開発としては都内最大規模だった。対象区域は駅周辺から南東方向に多摩川に平行し、東西の長さは約1kmとなっている。総事業費は約1500億円とされた。
 この再開発計画発表で駅東側にあった銭湯「玉川湯」は2003年7月に廃業し、翌年、東横学園二子幼稚園が移転。計画が認可されて東急ストアと東急ハンズ二子玉川店は2006年に撤退し、2011年に駅東地区の大規模再開発第1期工事が竣工、「二子玉川ライズ」と命名された。

 以降、再開発は急ピッチで進み、第二期工事で「二子玉川ライズ・バーズモール」として、北棟が「二子玉川ライズ・オークモール」として先行オープンした。続いて「二子玉川ライズタワー&レジデンス」としてオープンし順次入居が開始された。そして2011年3月には、「ドッグウッドプラザ」「二子玉川ライズSC」「二子玉川ライズ・オフィス」としてオープンする。また、二子玉川駅改札口高架下が「二子玉川ライズ・ステーションモール」としてオープンした。2015年3月には最後に残っていた街区が完成、「二子玉川ライズ・テラスマーケット」「109シネマズ二子玉川」「エクセルホテル東急」がオープンした。このエリアには、2015年に楽天本社が移転した。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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