埼玉県戸田市の特徴を知る
埼玉県「戸田市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
埼京線の開業で一気に住宅地として成長した教育先進都市
埼玉県戸田市は同県南部に位置し、荒川を境にして東京都北区・板橋区に接する。また北部はさいたま市、東は川口市・蕨市に、西は朝霞市・和光市と接する自治体だ。かつて、旧浦和市南部と戸田市は同じ佐々目郷に属していた。総面積は18.17平方キロメートルである。
埼玉県・戸田市のマンション
2018年、埼玉県・戸田市で販売された新築マンションは189戸。新築マンションの相場価格は3697万円~4040万円で、同市内の中古マンション相場価格は1890万円~4760万円だった。
2019年1月現在、埼玉県戸田市の人口は、戸田市の発表によると13万9616人。総世帯数は6万4874世帯だ。
県内随一の若い街、教育環境が充実した教育先進都市
若いファミリー層が多いのが、戸田市の特徴。市民の平均年齢は40.1歳で、埼玉県内では21年連続でもっとも平均年齢が若い市だ(2016年1月1日現在)。
生産年齢人口(15~64歳人口)の割合を見ても、戸田市は県内1位だ。
また、埼京線が開通した1985年は、7万6426人の人口でしたが、2016年には13万5243人まで増加した。人口増加率、社会増加率も埼玉県内1位である。
子育て世帯に大事な子どもの教育環境も充実している。学力の育成については、ここ数年顕著な伸びを示していて、小・中学校ともに県内トップクラスだ。全国の自治体から選ばれた文部科学省の委託研究事業や、ICT機器を活用した効果的な学習環境を用意する教育先進都市でもある。
江戸近郊、交通の要衝としての「戸田の渡し」が有名
戸田市域は、江戸時代から江戸の近郊地域として栄え、中山道の要衝として荒川「戸田の渡し」は全国的に有名だ。その荒川は、その語源のとおり「荒ぶる川」と言われるほど洪水が多く、流域の治水は戸田地域にとって大きな課題だった。
1935年(昭和10年)、「三領排水路工事」がはじまり、その副産物としてできたのが、1940年に予定されていた東京オリンピックのために建設された戸田ボートコースだ。が、太平洋戦争によってオリンピックは中止となる。そのボートコースは、1964年の東京オリンピックで活かされた。
笹目橋の完成で市域が大きく変貌する
1941年、木製の笹目橋が完成。終戦後、戸田市地域で新たな政治制度のもと、学校などの公共施設が、整えられた。1957年、美笹村と合併し新たに戸田町となり、1966年(昭和41年)、戸田市が誕生した。
平成の市町村大合併が喧伝されたころ、同県川口市との合併が検討されたが、生活圏は旧浦和市(さいたま市)に近いため却下となる。また、旧浦和市との合併構想もあったが、急激な人口増加を検案すると単独で中核市指定要件である人口20万人が目指せると見込んで、当分の間、単独市のままでいることとなった。2015年の国勢調査によると県内で最大の人口増加率(10.6%)だった。が、人口20万人には遠く及ばないのが現状だ。
2016年に市制50周年を迎えた。
1985年、JR埼京線開通で格段に便利な街に
川口市、蕨市、草加市とともに、4市で共通する広域的な行政課題の連絡調整、図書館の相互利用、災害時における避難場所の相互利用、健康づくりをテーマとした各種のスポーツ交歓大会等の各種事業を行なう、埼玉県南4市まちづくり協議会を結成している。
東京特別区に接しているため工場や物流施設が多いが、市域のほぼ全体が住宅地だ。
交通インフラとしてJR埼京線が市域を南北に貫く。完成したのは1985年で、交通の便が格段に良くなったため、中高層マンションの建設が相次いだ。
市内には戸田公園駅、戸田駅、北戸田駅があるが、笹目地区ならば県境の笹目橋を経由して東京板橋区の都営地下鉄三田線の西高島平駅も利用可能だ。
道路網は新大宮バイパスとその上の高架を首都高速道路が南北に縦断し、北部を東京外環自動車道(高架下は和光市に向かう国道298号)が通り、美女木ジャンクションで結ばれている。ちなみに、この美女木ジャンクションは高速道路でありながら信号機のあるジャンクションとして有名だ。
荒川で隔てられている東京板橋区へ国道17号が結んでいる。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道