千葉県君津市の特徴を知る
千葉県「君津市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
1960年代、東京湾に面する海岸線が埋め立てられた重工業都市
千葉県君津市は、房総半島のほぼ中央部に位置し、北西部は東京湾に面する。北部の台地は木更津市と広く境を接し、この一角にかずさアカデミア・パークが建設された。東部は市原市、大多喜町、鴨川市と接する清澄山系で、南部は三舟山、鹿野山、高宕山系となっており、富津市と接する。小糸川・小櫃川の沖積地が広がり、肥沃な農耕地帯を形成している。
千葉県・君津市のマンション
2018年、千葉県・君津市で販売された中古マンション相場価格は1540万円~2100万円だった。
2019年1月現在、千葉県君津市の人口は、同市の発表によると8万4811人。総世帯数は3万8774世帯である。1960年代、後述する海浜部の埋め立てで重工業企業誘致に成功し、関係者の転入により人口が急激に増加した。が、バブル崩壊後の不況でピークアウトし、現在は減少傾向にある。その後、東京湾アクアラインの開業で、高速バス網の発展にともない、東京駅や羽田空港へのアクセスの利便性向上で、ベッドタウンとしての発展が期待されている。
新日鐵住金の企業城下町として高度経済成長期に急速に発展した街
千葉県君津市は、1943年(昭和18年)に、君津郡八重原村、周西村が合併して君津町が誕生。その後、1954年(昭和29年)、その君津町に周南村、貞元村が編入となる。また、1970年(昭和45年)、上総町、小糸町、清和村、小櫃村(おびつむら)を編入して、改めて君津町となった。翌、1971年9月に待望の市制施行を実施し、君津市が誕生した。
千葉県君津市の東京湾に面する約4kmの海岸線は、1960年代に埋め立てられ、現在、世界に誇る製鉄所(新日鐵住金)が中心となって操業する重工業地帯だ。市域は内陸部の東部、南部が広大で、面積は約319平方キロメートル、市原市に次ぐ県内2位の面積を持つ自治体だ。
市街地は、君津駅を中心とした沿岸部に集中している。西部の小糸川下流域は、土地区画整理事業により整備された住宅地が続く。内陸の久留里地区は古い城下町でありJR久留里線がとおる。
館山自動車道の遠心や東京湾アクアラインの開通で変わる市勢
かつて、君津から東京へ出かけるには、電車移動ならJR内房線の快速・特急を利用するか、クルマでのアクセスなら千葉市内まで一般道を使って高速に乗るしかなく、1時間以上を要した。しかし、館山自動車道の遠心や東京湾アクアラインの開通で、東京・横浜方面への車による利便性は大幅に向上することとなった。
かつての高度経済成長期、東京のビル建設などに君津市周辺の採砂場からコンクリート用の砂が大量にダンプによって運ばれ、場所によっては山が無くなるほど採掘された。当時、君津の道路などは、ダンプがひっきりなしに走る様子から周辺道路はダンプ街道などと呼ばれた。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道