京都府城陽市の特徴を知る
京都府「城陽市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
充実した交通インフラを背景に、1960年代急成長した住宅都市
京都府城陽市は、城陽市は京都市と奈良市のほぼ中間にあり、山城盆地の中央部に位置している。北は宇治市、久世郡久御山町に接し、東は鴻ノ巣山を経て綴喜郡宇治田原町に連なり、南は綴喜郡井手町に、西は木津川を挟んで八幡市、京田辺市に相対している。
市域には西に木津川、東に醍醐、信楽山地に連なる丘陵地をもち、東西9.0km、南北5.4km、総面積32.71平方キロメートルである。
京都府・城陽市のマンション
2018年、京都府・城陽市で販売された新築マンションは150戸。同年、同市内の中古マンション相場価格は1890万円~2590万円だった。
2019年1月現在、京都府城陽市の人口は、同市の発表によると7万6409人。総世帯数は3万4685世帯である。同市の人口は、1951年の城陽町発足当時は1万3000人、1972年(昭和47年)の市制施行時には4万5000人と急増し、1085年(昭和60年)に8万2000人となった。その後、人口増加は鈍化し、1996年(平成8年)にピークアウト、以降漸減している。
京都・奈良の中間に位置する古くからの交通の要衝地
城陽市は、京都・奈良の中間に位置するため古くから交通の要衝と発達した。5世紀の大和時代に潅漑用の水路が設けられ豊かな耕地となり、多くの人々が居住し、平安時代の初期には栗隈郷、久世郷、水主郷、富野郷、中村郷に集落が形成された。
近世には、久世、平川など8カ村が久世郡に属していた。1889年(明治22年)、町村制実施によって久津川、寺田、富野荘、青谷の4カ村となる。
1951年(昭和26年)、町村合併促進法の適用を受けて前述の4カ村を合併し、城陽町が誕生した。その後、1960年代前まで純農村として推移。以後、近畿圏の人口増加・集中に伴って、京都・大阪都市圏の住宅都市として脚光を浴び、急激な宅地開発が行なわれ、人口が急増。1972年(昭和47年)5月に、城陽市として市制を施行した。
充実した交通&生活インフラを背景に発達したコンパクトな住宅都市
同市内の交通インフラは充実している。主要鉄道交通機関として、「JR奈良線」と「近鉄京都線」が、平行して市内をほぼ南北に縦断している。JR、近鉄ともに京都駅から約30分の距離感だ。市内の駅は「JR城陽駅」「JR長池駅」「JR山城青谷駅」があり、近鉄京都線の駅は「久津川駅」「寺田駅」「富野荘駅」がある。
幹線道路は、市内を南北に縦断し奈良と京都を結ぶ国道24号と府道69号線、東西を連絡する府道3線と、市域南部を東西に横断し京田辺市と宇治田原町に通じる国道307号がある。
生活インフラにおいても、環境確保と公共用水域の水質保全を図るために、市の下水道が、1983年(昭和58年)に事業着手された。1990年(平成2年)4月に供用を開始した。その後、着実に整備を推進した結果、2008年(平成20年)度で下水道整備は、ほぼ完了し、現在の普及率は、98.9%となっている。
日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)に加盟する京都サンガFCのホームタウンのひとつでもあり、サンガの練習グラウンド「京都サンガFC東城陽グラウンド」が市内にある。なお、京都府が計画している球技専用スタジアムの建設予定地に立候補したが、最終的に亀岡市に決定した。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道