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  • 2020.04.24
NO.278
東京都港区「汐留・浜松町・竹芝」の特徴

浜離宮、旧芝離宮、ふたつの恩賜庭園を最大限“借景”に活かして進む再開発

東京都港区「汐留・浜松町・竹芝」の特徴とマンション

 かつての江戸ウォーターフロント「汐留」の名称は、江戸城外堀と海を仕切る堰が、寛永年間(1624年~1644年)「土橋」に設けられ、ここから先には海水が入り込まない、「汐が留まる」所だったことから地名となったという。「汐留」は近世とともに生まれた。

 徳川家康の江戸の街づくりは、大規模な埋め立て事業によってはじまった。そのひとつである汐留に、はじめて屋敷の拝領を受けたのは龍野藩脇坂家。1632年(寛永9年)成立の「武州豊島郡江戸之庄図」に記録が残る。その後も埋め立てが続き、1639年(寛永16年)に会津藩保科家、1941年(寛永18年)には仙台藩伊達家が屋敷地を拝領する。現在、汐留は旧町名で現在の通称であり、正式な住居表示は東新橋1丁目ならびに東新橋2丁目だ。新橋という地名は、江戸城外堀の汐留川(新橋川)に架かる橋の名前に由来する。

 全般に高層オフィスビル群で構成される汐留街区だが、2002年に竣工した「東京ツインパークス」は、この街区で数少ない高層ツインタワーマンション(全1000戸)だ。東新橋1丁目10番に建つ47階建てマンションの東側には首都高速の向こうに浜離宮庭園が拡がり、西側なら東京タワーなど都心の高層ビル群が望める抜群の借景を誇る。

 一方、その汐留から新交通ゆりかもめでひとつ先「竹芝」駅と汐留の南側のJR「浜松町」駅の周辺では、大規模な再開発が浜離宮恩賜庭園を望む恰好で進んでいる。筆頭は浜松町駅西口の貿易センタービルの建て替え事業で、2棟の高層ビルに生まれ変わる。ただ、ここは完全なビジネスソーンだ。

港区海岸1丁目「竹芝」エリアで浜離宮を借景に進む再開発

 居住向けの注目エリアは、JR浜松町駅の東側に広がる竹芝エリアだ。住居表示が港区海岸1丁目で、すでに浜松町駅至近に2004年に完成した56階建てのマンション、アクティ汐留が建つ。このアクティ汐留の45階以上の高層フロアの住居は、住友不動産の高級賃貸住宅「ラ・トゥール汐留」として供給されている。
 周辺では高級タワーマンション建設や竹芝埠頭再開発などが行われているが、高度利用されていない敷地がまとまって残っていたことが奏功した。2010年代以降、大規模な再開発が複数動き出し、今後の成長に期待ができるエリアとなった。

 竹芝埠頭周辺は、海を隔て北東側に広大な浜離宮恩賜庭園が拡がる眺望に恵まれたエリアだ。浜離宮を活かした再開発は竹芝の対岸である築地でも計画が目白押しだが、このゆりかもめ沿線の竹芝でも、すでに竣工したパークコート浜離宮ザ・タワーに続き、イトーピア浜離宮建替え事業、都市再生ステップアップ・プロジェクト(竹芝地区開発計画)や2020年中の竣工を予定するウォーターズ竹芝「WATERS Takeshiba」事業などが進んでいる。

 なお、東京都都市整備局は竹芝駅前の都有地活用事業として「都市再生ステップアップ・プロジェクト(竹芝地区)事業実施方針」を発表した際、総合的な街づくりの方針を定めた「竹芝地区まちづくりガイドライン」を公表した。
 2012年7月に改定されたこのガイドラインには、「2020年の東京」「東京の都市づくりビジョン」「港区まちづくりマスタープラン」といった行政計画に基づき、街づくりの方針、整備の方向性が示されている。ガイドライン策定の目的として「豊かな緑、海、文化を実感できる、活気ある業務・商業等の拠点を形成」を中核のコンセプトに、東京の国際競争力強化に資する開発や、防災対応力を備えたスマートシティの実現を推進することが盛り込まれた。

 その豊かな緑、海、文化を実感でき、借景ともなる浜離宮恩賜庭園は、潮入の池とふたつの鴨場をもつ江戸時代の代表的な大名庭園だ。潮入の池とは、海水を導き潮の満ち干によって池の趣が変化する海辺の庭園である。となりの旧芝離宮恩賜庭園、清澄庭園や旧安田庭園なども昔は潮入の池だった。が、現在、実際に海水が出入りしているのは、この庭園の池だけである。この地は、江戸寛永年間(1624~1644年)まで、一面芦原の将軍家の鷹狩場だった。ここに屋敷を建てたのは、4代将軍家綱の弟で甲府宰相 の松平綱重。1654年(承応3年)、綱重は将軍から海を埋め立てて甲府浜屋敷と呼ばれる別邸を建てる許しを得たという。その後、綱重の子供の綱豊(家宣) が6代将軍になったのを契機に、この屋敷は将軍家の別邸となり、名称も浜御殿と変わる。以来、歴代将軍によって幾度かの造園、改修工事を実施。11代将軍・家斉のときにほぼ現在の姿の庭園となった。
 明治維新ののちは皇室の離宮となり、名前も浜離宮となり、その後、関東大震災や先の大戦の戦災を経て、1954年(昭和20年)11月3日、GHQの命によって東京都に下賜され、整備のうえ1946年(昭和21年)4月から有料公開された。なお、国の文化財保護法に基づき、1948年(昭和23年)12月に国の名勝及び史跡に、1952年(昭和27年)11月に周囲の水面を含め、国の特別名勝及び特別史跡に指定された。

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芝浦「東芝ビル」建替え計画でJR浜松町駅一帯、旧芝離宮を望む再開発

 さらに周辺では開発が進行する。野村不動産が主体となって進める東芝ビル建て替え計画「芝浦1丁目計画(仮称)」では、東芝不動産、JR東日本をも巻き込んだ再開発計画で、住居棟を含む高さ235mクラスのツインタワーを核とした街が生まれる予定だ。設計者は、代官山ヒルサイドテラスや幕張メッセなどを手がけた建築家の槇文彦氏だ。

 なお余談、浜松町という名称の由来は、1696年(元禄9年)に遠江国(静岡県)浜松出身の権兵衛がこの地の名主役を勤めたことに由来する。権兵衛の前は増上寺の代官である奥住久右衛門が名主役を勤めていて、その時代は久右衛門町という名前だった。

 これら再開発エリアに囲まれて絶好の借景となる旧芝離宮恩賜庭園は、江戸の老中・大久保忠朝の上屋敷内に作庭した大名庭園楽寿園を起源とする回遊式庭園である。作庭当時は海岸に面しており、浜離宮と同じく汐入の庭だった。宮内庁管理を経て1924年(大正13年)に東京市に下賜され、旧芝離宮恩賜庭園として公開された。現在では周囲の高層ビル群に囲まれた都心のオアシスとなっている。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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