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  • 2020.05.13
NO.281
東京都港区「西麻布」の特徴

いま西麻布と呼ばれる街は、大半が昭和42年まで麻布霞町と呼ばれたエリアだ

東京都港区「西麻布」の特徴とマンション

 西麻布は港区の西部に位置し、元麻布の北西にあり渋谷区と接する。現行の行政町名は西麻布1丁目から西麻布4丁目までとなる。西麻布といえば外苑西通り(都道418号)と六本木通り(都道412号)が交差する西麻布交差点がよく知られる場所だが、交差点に架かる陸橋の名称は旧地名の霞町から「霞町交差点」の「霞町陸橋」と呼ばれる。

作家・浅田次郎の小説『霞町物語』の冒頭

 浅田次郎の小説『霞町物語』(1998年/講談社)が、昭和の霞町を鮮やかに、そして印象的に描いている。その冒頭の一節はこうだ。
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 霞町という地名は、とうに東京に地図から消されてしまった。
 だから今でも、かつてそう呼ばれていたあたりの街角に立てば、誰もがなるほどと肯くことだろう。できれば冬の夜がいい。青山と麻布と六本木の大地に挟まれた谷間には、夜の更けるほどにみずみずしい霧が湧く。周囲の墓地や大使館の木立から滑りおりた霧が、街路に沿ってゆったりと流れてくるのである。
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 このように記されたこの本は、60年代の終わりごろ、霞町・麻布界隈で過ごす高校生が主人公の短編小説集で、浅田の自伝的な物語だといわれている。

 1967年(昭和42年)まで霞町と呼ばれたエリアは、現在の西麻布1丁目から3丁目に六本木6・7丁目の一部だった。現在、前述の幹線道路沿いには飲食店や小洒落た洋品店や商店などが入居する雑居ビルが多いが、路地を入り奥まった高台のカトリック麻布教会、みこころ幼稚園周辺には、いまだ邸宅と呼べる個人住宅が多い。

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「霞山桜田神社」由来の「桜田町」、そして「霞町」

 霞町は江戸時代、阿部播磨守の広大な下屋敷だった場所だ。その後、明治政府がその敷地を接収してできた街である。この明治に町が開かれた際、隣接する桜田町内が「霞山桜田神社」の「桜田」をとった町名とし、それにならって「霞山」の「霞」を町名としたとされる。麻布霞町は1872年(明治5年)に成立した。その後1891年(明治24年)3月に元原宿村飛地字五反田のうち、現在の西麻布交差点から青山方面に向かう外苑西通り一帯となる1番地から5番地まで、15番地から17番地までを霞町に合併した。

 ところで霞山桜田神社は、源頼朝の命により、渋谷庄司重国が霞山(現在の霞ヶ関桜田門外)に祀った祠だという。1189年(文治5年)の奥州征伐の奉賽として、源頼朝より30貫の田地を寄進された。この御神田の側に桜を植え、桜が見事に咲き誇ったことから「桜田」とし、村の名も桜田村と称した。1624年(寛永元年)江戸の整備に伴い、氏子とともに霞ヶ関から現社地に遷った。江戸城の桜田門はこの名に因む。
 なお桜田町は、元麻布3丁目、西麻布3丁目、六本木6丁目のそれぞれ一部である。1966年(昭和41年)、住居表示に関する法律で桜田町は分割、町名は消滅した。

 同様に霞町の名称も消えた。東京オリンピック関連整備で消滅するまで東京都電が運行されていた現在の西麻布交差点には、当時「霞町」停留所があり六本木通りと外苑西通りを走る電車が交差する乗換駅で賑わったとされる。両側の霞坂と笄(こうがい)坂の谷となる交差点には、冬の朝など、ふたつの坂を下ってきた霞が漂うなかを路面電車が走っていたという。

六本木へ駆け上がる霞坂、高樹町に向かって登る笄坂

 ちなみに霞坂は現在の六本木通りを西麻布(霞町)交差点から六本木に向けて昇る坂。笄(こうがい)坂は同交差点から高樹町・渋谷に向かって登る坂である。
 その笄坂を登り詰め、通称・骨董通り(正式名称:高樹町通り)との交差点が高樹町交差点で、首都高速3号線・高樹町出入り口は西麻布4丁目に位置する。高樹町はもともと南青山にあった町名で、高樹町の一帯は明治時代以降も屋敷町であったが、霞町、桜田町などとともに名が消えた街だ。現在でも路地の奥は高級マンションや邸宅が並ぶ旧・麻布笄町とともに高級住宅地だ。

 なお、西麻布3丁目では、「西麻布三丁目北東地区市街地再開発準備組合」と事業協力者として参画する野村不動産、ケン・コーポレーション、竹中工務店が協働で再開発を進めている。正式に2019年4月、港区より都市計画決定の告示がされた。 このエリアは、東京メトロ日比谷線、都営大江戸線「六本木」駅から西へ約 300m、テレビ朝日通りを挟んで六本木ヒルズに隣接する約1.6ヘクタールを再開発するというもの。

 計画では周辺市街地と調和した緑豊かで魅力ある複合市街地の形成を目指し、地上55階(仮)の超高層棟に、都市居住機能、商業・業務機能を導入し、快適な都心生活を実現するとしている。また、都市計画道路であるテレ朝通りの拡幅や、六本木ヒルズを含む周辺地区との回遊性を高める歩行者デッキやオープンスペースを整備、街の安全性・防災性を高め、地域の賑わいを創出する。また、高層棟には、国際色豊かな西麻布、六本木エリアに相応しい国際水準の宿泊機能として外資系ラグジュアリーホテルの誘致を目指す。竣工は2025年度の予定だ。

 西麻布のほぼ全域のほか南麻布5丁目、元麻布2・3丁目の一部、および六本木7丁目23番居住者の通学小学校は、西麻布3丁目にある港区笄小学校となる。同校の児童は帰国子女や外国籍の児童が多いため、日本語学級を1991年から設置している。この学級は港区内の小学生で日本語能力が不十分な帰国子女や外国人児童に対して、日本語と日本の生活習慣を学ばせることを目的とする。
 同校は土足で入校・入室、授業を行なっている。また、聖心女子大学生によるアシスタントティーチャー体験を活用して、少人数指導を実践。全校児童が青少年赤十字に加盟しボランティア活動に取り組み、道徳や総合的な学習の時間を通して環境や福祉について学習する。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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