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  • 2020.04.23
NO.274
東京都中央区「築地」の特徴

世界に誇る観光名所「市場跡地」再開発に注目が集まる食の街「築地」エリア

東京都中央区「築地」の特徴とマンション

 東京都中央区「築地」は、2018年10月まで開かれていた「築地市場」(つきじいちば)で全国に知られる、否・世界に知られる街だ。行政地名は築地1丁目から築地7丁目で構成され、その築地市場は6丁目にある駐車場だったエリアを除くと築地5丁目にあった。

 築地という単語本来の意味は「埋立地」で、東京・中央区「築地」も埋立地だ。1657年(明暦3年)、4代将軍・徳川家綱の時代に起きた江戸の明暦大火で消失した浅草・西本願寺(現在の築地本願寺)の代替地として造成した土地だ。造成に参加したのは、徳川家康の縁故で摂津(大阪府)西成郡佃村から名主・孫右衛門(まごえもん)らとともに移住して対岸の「佃島」に住まう漁民だったとされている。そこに建立した築地本願寺の周辺には浄土真宗の寺院が集まり一種寺町のような様相となったという。

維新後、日本海軍の要衝と変化する築地

 東京湾に注ぐ隅田川の河口に位置するため、徳川幕府は江戸時代末期に軍事力増強を目的として講武所を設けた。これが後の日本海軍・軍艦操練所となり、勝海舟らが教鞭を執った。明治になって政府は、筑地の講武所ならびに周辺の大名屋敷を接収、尾張藩別邸跡に海軍本省を置いた。ここが日本海軍発祥の地として水神社が祀られている。
 そのほか、前述の海軍軍艦操練所や海軍兵学校、海軍経理学校などが置かれ、現在でも海軍由来の施設は多く、現在の国立がん研究センター中央病院が建っている場所には、海軍軍医学校があった。

 築地が大きく変わる発端は、ほかの東京都心と同様に、1923年(大正12年)9月1日正午ごろに起きた関東大震災だ。築地一帯も焼け野原となり、政府の帝都復興計画により晴海通りや新大橋通りなどの大規模な幹線道路建設と区画整理が行なわれ、復興は急ピッチで進んだ。それに伴って多くの寺院が郊外に移転していった。

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関東大震災後に移転してきた魚河岸

 復興が進んで落ち着きを取り戻した築地に1935年(昭和10年)、魚河岸が日本橋から海軍用地だった場所に移転してきた。築地が世界の名所となる「築地市場」の前身、東京市中央卸売市場である。同時に場外にも市場が形成され始める。
 終戦後の1945年(昭和20年)、海軍経理学校が米軍(進駐軍)によって接収されキャンプハーネスとなり、敷地には兵舎や娯楽室、病院やクリーニング工場、ガソリンスタンドなどが設けられ、それらは接収終了後に築地市場に併入となった。

 2018年に閉場となる前の築地市場では、7つの卸売業者と約1000店といわれる仲卸業者がセリを行っており、面積規模は太田市場がトップだったが、売上は日本最大を誇った。知名度は抜群であり、その名は世界に知れ渡っていた。
 なお、築地場外市場は東京都中央区にある商店街である。通称:場外、場外市場、築地場外と呼ばれ、築地市場に隣接し、市場と築地四丁目交差点との間の築地4丁目、築地6丁目にある。築地市場の移転後も営業を継続しており、多彩な海産物の小売店、飲食店などが軒を競っている。

 築地市場周辺の道路の名や交差点名は、市場がらみで命名された名称が多く、その名が定着していることから、都営地下鉄「築地市場駅」を含め、正門付近の交差点「中央市場前」「市場橋」、区道「市場通り」に改称の予定はないという。「築地市場正門前」から「国立がん研究センター前」へ改称した都営バス停留所の表示にはカッコ付きで「(築地市場駅前)」と注釈が付いている。

 ちなみに築地地区には前述の都営地下鉄「築地市場駅」のほかに、東京メトロ日比谷線「築地」駅があり、日比谷線・都営浅草線「東銀座」駅、都営新宿線「新富町」駅も利用可能だ。

その築地市場が豊洲に移転して、市場跡地再開発に注目が集まる

 東京都都市整備局の2019年3月発表によると、「街づくり方針の策定後、将来像の実現に向け、民間からの提案を受けるため、都は事業実施方針や事業者募集要項を作成・公表し、官民の役割を明らかにしながら、より具体的な条件等を示していく。また、整備に向けて都市計画案を作成するなど、必要な手続等も順次進めていく。民間の知恵やノウハウを最大限に生かす観点から、必要に応じて民間ヒアリングも行なう」としている。
 具体的には、勝閧橋付近で水の都に相応しい舟による水運活性化などを図るため、船着場を含め船着場周辺のエリアを先行整備する。同時に2020年には事業社を募集して長期定期借地権を設定のうえ開発を先行させるという。次いで、地域全体の価値を早期に高められるよう、浜離宮の庭園側に面したエリアの開発を行なう。これについても2022年頃に事業者を募集し、長期定期借地による活用を行なうことを想定するという。つまり、いずれも民間による長期借地権契約の高層オフィスビル&タワーマンションなど住宅開発に期待しているというわけだ。

 この開発計画書では、つくばエキスプレスの延伸によって、現在の終点・秋葉原~東京駅~銀座~築地~晴海~台場にいたる地下鉄道構想にも簡単に触れている。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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