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  • 2020.05.19
NO.304
東京都千代田区「九段下・千鳥ヶ淵」の特徴

江戸の武家屋敷町が、関東大震災後の靖国通りの整備で九段に生まれ変わる

東京都千代田区「九段下・千鳥ヶ淵」の特徴とマンション

 1923年(大正12年)に発生した関東大震災で被災後、東京帝都復興計画の一環として靖国通りの整備が行なわれた。その道路拡幅整備に伴って、それまで番町および富士見だった靖国通り沿線エリアを分立させ、1933年(昭和8年)、九段1丁目から4丁目の町域とした。

 1966年(昭和41年)、九段北3丁目の靖国神社を通る通称・靖国通り、正式名称「東京都道302号新宿両国線」を境にして町域を南北に分割し、九段北と九段南になった。それぞれ東京メトロ東西線&半蔵門線・都営地下鉄新宿線 九段下駅から市ヶ谷駅にむかって1~4丁目となる。1947年まで麹町区に属し、戦後に千代田区の町域となった。

西は青梅街道、東は京葉道路に繋がる靖国通り、その両脇

 靖国通りは、東京都心部を東西に走る概ね片側2車線の重要な道路のひとつ。新宿5丁目交差点の約300m東の地点から東神田交差点の付近まで、都営地下鉄新宿線が道路に沿って地下を走っている。道路の東端は新宿で青梅街道に、西端は浅草橋で京葉道路に接続する。

 南北九段の地名の由来は九段坂で、現在の首都高速5号線の下を流れる日本橋川(飯田堀)、現在の九段下付近から武蔵野段丘を上がる坂の途中に、9層の石段と「九段屋敷」と呼ばれた江戸幕府の御用屋敷があったことに由来する。江戸の下町と山の手の境界であり、坂上から江戸城などを望む展望が絶景で名所となった。

 明治維新後、坂上の幕府の馬場であった一帯に東京招魂社(靖国神社)が創建され、帝都東京の祝祭空間として栄えた。靖国神社の南側の旧富士見町一帯が花街として賑わったのに対して、その北側には中高一貫校の千代田区立九段中等教育学校(旧東京都立九段高等学校)や暁星学園、白百合学園など歴史ある学校が数多く設立され文教地帯となった。

 このように現在の九段北の町域は、ほとんどが靖国神社や学校などで占められていた。九段北1丁目にあった日本不動産銀行本店、その後の日本債権銀行本店のビルは九段下のランドマークだったが、後継銀行の退去後に解体され、跡地に2006年、地下鉄九段下駅直結の超高層オフィスビル「北の丸スクエア」が建てられた。

 ただし、九段北で西域にある一口坂、新見附、JR市ヶ谷駅を結んだ三角地帯である九段北4丁目の靖国通り沿いはビジネス街。裏手にはマンションなどの集合住宅が多い。
 かつて屋敷町と云われたエリアは、九段北1丁目が飯田町、九段北2丁目が富士見町2丁目、九段北3丁目が「番町」で知られる三番町・四番町・富士見町3丁目の一部、九段北4丁目は同じく三番町・四番町の一部だった。

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坂下の1丁目、坂上の2丁目から4丁目

 いっぽう九段南は、商業地としての性格が強く、通り沿いを中心に各種ビルや商店などが並んでいる。他に公的機関や住宅も見られる。公園・神社なども多く都心としては自然が多く残されている。九段下や麹町などの官庁・公的機関・事務所が集中するエリアに近い。
 なかでも、九段坂から俎橋までの南側一帯となる九段南1丁目は、ほぼ国有地。2011年の東日本大震災の被害で閉鎖となった九段会館や昭和館、千代田区役所などの役所が占めている。
 この地域では一般入札によって東急不動産が九段会館の保存計画を含めた17階建てのビルに改築・再開発が進んでいる。

 昭和初期までは富士見町の名で知られ、明治時代には山の手随一の繁華街として賑わった通称・九段上。現在の九段南2丁目には、前述のようにかつて東京屈指の花街があった。現在、オフィスビルとマンションで占められ、わずかに民家や小規模貸しビルが立ち並ぶ。

九段南2丁目付近の高級マンションが多い千鳥ヶ淵、北の丸

 千鳥ヶ淵沿いは千鳥ヶ淵緑道で桜並木となっており、桜が開花するシーズンは多くの人が訪れる。
千鳥ヶ淵・北の丸公園付近は都内でも有数の高級マンション立地エリアで、「パークマンション千鳥ヶ淵」や「セントラルレジデンス番町シティタワー」、「ビラハイツ北の丸」などの高級マンションも多い。

九段南4丁目は、一口坂交差点からJR市ヶ谷駅までの地域で、靖国通りに面してメガバンク支店などの銀行、商店のほか、山脇学園や日本大学本部などが建つ。靖国通りの一本南を走る二七通りにはマンション、民家が混在する。また、このエリアは鉄道結節点となるJR市ヶ谷駅からの商業地の中心でもある。
 住民の結束が都心商業住宅地としては固く、西暦偶数年に開催される江戸三大祭のひとつ日枝神社の例大祭である山王祭では、麹町の氏子地域の中核として大神輿や山車を運営する。

 「二七通り」の名称は、二七不動尊(二七山不動院)に由来する。幕末に近隣の旗本屋敷から出現した石像を本尊とした真言宗醍醐派に属する寺院で、富士見町花町衆の信仰を集めて地域のシンボルだった。2と7のつく日に縁日が立ったので、旧表六番町通りを「二七通り」と呼ぶようになった。

 不動堂の向かいに住んだとされる東郷平八郎が深く信仰し、日露戦争の日本海海戦で勝利したことから霊験が評判となった。縁日は昭和30年代まで存続したが、交通事情の悪化などで消滅。花街衰退とともに賑わいも薄れた。1960年代半ばから東郷元帥記念公園で開催される「火渡り」行事が有名になった。

 南北・九段エリアの区立小学校の学区は、九段南1丁目、九段北1~2丁目が区立富士見小学校、九段南2~4丁目、九段北3~4丁目が区立九段小学校だ。なお、区立中学校については千代田区全域で学校選択制をとっている。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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