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  • 2020.05.19
NO.308
東京都千代田区「神保町」の特徴

多彩な文教エリアで日本のカルチェ・ラタン、世界一の古書店街でB級グルメの街

東京都千代田区「神保町」の特徴とマンション

 神田駿河台から明大通り・猿楽町を経て靖国通りに向かうと神田神保町が拡がる。現在は1丁目から3丁目で構成される街だ。町名の由来は徳川の幕臣である神保長治の屋敷があったことに由来するエリアである。
 またかつて、神田駿河台に中央大学があった頃には、明治、日大、専修、法政とともに神田5大学と呼ばれ、神保町~御茶ノ水エリアは「日本のカルチェ・ラタン」と言われた。

世界一の古書店街

 靖国通りと明大通りの交わる駿河台下交差点から白山通りの交差点までの南側に、多くの書店や取次、出版社が軒を連ねる世界最大の古書店街「神田古書店街」が形成される。
 その神田神保町古書店街とは、主に東京都千代田区神田神保町にある古書店などが密集している場所の総称だ。岩波書店、小学館、集英社などの大手総合出版社、印刷所、中小規模製本所、新刊を扱う三省堂や書泉グランデなど一般書店の他に、専修大学、明治大学、日本大学など大学、学術関係の専門書店・施設もあり、これらが一体となってペーパーメディアの街、BOOK TOWN神田書店街を形作っている。
 古書店が靖国通りの南側だけに並んだ理由は、陽の光が差し込んで書籍が日焼けするのを嫌ったためだという。

 現在では、古書店街オフィシャルWebサイトの整備も進んでおり、「古書データベース」から目的に適った書籍の検索も可能だ。
 オフィシャルサイト「BOOK TOWN じんぼう」(http://jimbou.info/index.html)は、世界一の本の街、神田神保町を舞台にした「インターネット上の総合書籍案内所」であり、単なる書籍検索サイトやタウン情報紹介サイトではない。HPには、「たとえ書名や著者を知らなくても、趣味、嗜好、知的探求などそれぞれの目的で、いつか読むべき、探すべき、手に入れるべき“本のありか”を見つけ出すことができる」としている。
 「BOOK TOWN じんぼう」は、神田古書店連盟の全面的な協力を得て国立情報学研究所が構築し、「NPO法人連想出版」が運営する公式サイトだ。神田神保町の古書店176店舗を紹介しつつ、古書店52店、新刊書店6店の在庫が調べられるデータベースを公開している。

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再開発が進み、神保町らしさが薄れる側面も

 神保町の裏路地には明治期創業の日本蕎麦や天ぷら、鰻、中華など老舗飲食店も多い。また、60~70年代には「カウンターカルチャー」が育った下町でもある。そこには小さな出版社や製本所、法学・会計系小規模な事務所に勤める従業員や学生に向けたB級グルメ街も多く存在する。
 しかし、近年は大学の高層ビル化や再開発によるマンション建設が進んでいるエリアでもある。神保町1丁目、東京メトロ神保町駅の南で学士会館手前、小学館本社の向かい側エリアは、細分化された宅地に老朽化した建物が立ち並んでいた場所だった。そこで進められた再開発が「神保町1丁目南部地区再開発事業」だった。ジェイシティ東京とし、2棟のオフィスビル「神保町三井ビルディング」「神保町101ビル」と1棟の共同住宅「東京パークタワー」として2003年に竣工した。おかげで、いくつかの飲食名店が消えた。

 このエリアの有名出版社である小学館と集英社が元の根元は一緒だったことは、意外と知られていない。集英社は、関東大震災から2年経った1925年(大正14年)、小学館より趣味・娯楽性を重視した雑誌発行を主軸として創設された出版社だ。具体的には1926年(大正15年)に小学館の娯楽誌出版部門として分離、集英社が発足した。
もともと「小学館」の娯楽誌部門としてスタートした「集英社」。そこから分離独立し、現在まで約90年の歴史があるわけだが、現在も実は小学館が大株主の一ツ橋グループの一員だ。

 そのエリアから竹橋方面に向かうと、いわゆる神田一ツ橋地区で、千代田区神田エリアで唯一の区立中学校「一ツ橋中学」がある。2005年に一橋中学校、今川中学校、練成中学校の伝統継続を標榜して統合、旧一橋中学校から開校した区立中学校だ。第1回卒業生の卒業番号は一橋、今川、練成の卒業番号を足してからのスタートであった。旧一橋中学の校歌を採用、校章は“旧一橋”に“神田”の二文字を付け足した。
 同校には越境通学者が極めて多く、情報教育で国内トップを目指しており、パソコンを利用した授業の研究が実施されている。授業も習熟度別授業や少人数クラス、チームティーチングなど多様な形態で実施されており、ネットワークを使った配信学習システムも導入されている。また、同校は、日本に2校しかない「通信教育課程を併設している」中学校でもある。

日本初の社会科学系大学「一ツ橋」

 一ツ橋には1885年に京橋から移転してきた一ツ橋大学の前身である東京商科大学があった。一橋大学は明治政府の初代文部大臣、森有礼(もりありのり)が、渋沢栄一の援助を持って1975年(明治8年)に開校した商法講習所を源流とする日本でもっとも古い社会科学系の大学だ。商学専門の官立大学として開設されていた。森有礼は、国家の基礎は経済の富強にあって、そのためには経済人の育成が急務だとし、一橋大学設立の端緒となったといわれる。
 同大学は関東大震災を受けて、国立市のJR国立駅南側に広大なキャンパスを移動した。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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