日本の自治体
  • ニッポンの自治体
  • 2020.07.30
NO.314
東京都世田谷区「三軒茶屋」の特徴

新しい街の顔と昭和レトロが混在する、生活利便性に優れた街

東京都世田谷区「三軒茶屋」の特徴とマンション

 東京世田谷区の中央に位置し、同区のなかで比較的知名度の高い商業地だ。旧くは荏原郡中馬引沢村、下馬引沢村、太子堂村の一部で、三軒茶屋という地域名が正式名称となったのは、1932年(昭和7年)の世田谷区が成立と同時だった。

大山道と登戸道が枝分かれする分岐点に三軒の茶屋があった

 地名「三軒茶屋」の名称の由来は江戸中期、庶民の間でも寺社参拝ブームが起き、人々の往来が増えた大山道(おおむね現在の国道246号/玉川通り)と登戸道(ほぼ現在の世田谷通り)の分岐点(三軒茶屋交差点)付近に、信楽(後の石橋楼)、角屋、田中屋の三軒の茶屋が軒を連ねていたことだ。文化文政時代に一般に定着したとされる地域名だ。

 大山道は、関東各地から青山を経て瀬田、二子橋を渡って相模国大山の大山阿夫利神社への参詣者が通る重要な古道で、大山街道とも呼ばれる。大山は“雨乞い”に霊験あらたかな山として「雨降山」(あめふりやま)と呼ばれ、大山阿夫利神社は、農民らが五穀豊穣の神として信仰を集めた。
 登戸道は、現在の世田谷“ボロ市”通り沿いにあたる井伊家所領地にあった代官屋敷や武家町を通って現在の川崎・多摩区登戸に向かう街道である。

 東急田園都市線「三軒茶屋駅」の世田谷通り口の脇に、「左相州道 大山道 右富士世田谷登戸道」と記された石碑が残る。大山道と登戸道の分岐点にあった道標で、当時の賑わいを伝えている。

親の年収が高い学区を知りたい方 東京都世田谷区の「年収上位学区」小中学校ランキング

常に“住みたい街”の上位にランクされる個性的な「サンチャ」

 現在の三軒茶屋は1丁目と2丁目からなり、2020年6月現在、8421世帯で人口は1万3214名。住宅地の地価は世田谷区内でもっとも高いとされているが、ここ20数年で再開発事業による「キャロットタワー」などの建設、そしてお洒落な飲食店の増加などにより、若者に人気の街となっている。都内の吉祥寺や自由が丘と並んで、住宅情報誌などが「住みたい街」ランキングを実施すると、常に上位に顔をだす人気のあるエリアでもある。

 また、下北沢にも似た雰囲気の多くの小劇場があり、新たな文化やサブカルなどの発信拠点として注目されている。いっぽう、1960年代に進んだ急速な市街地化により、駅周辺には先の大戦後に自然発生的に生まれたとされる青空市から発展した「エコー仲見世商店街」や、入り組んだ路地に個性的な飲食店が集まる三角地帯なども残っており、渋谷の百軒店にも通じる昭和レトロな雰囲気と最新トレンドの両方が享受できる、特徴的な街だ。

 1996年に東急などの再開発事業の一環として竣工した「三軒茶屋」駅の駅前のオレンジ色のタワービル「キャロットタワー」の最終的な名称は一般公募で決まった名で、世田谷区内の中学生による命名である。外壁が人参に見えたことから命名したという。
 同タワーには、オフィスフロア、食品スーパーやTSUTAYAなどの商業施設のほか、世田谷区民の活動とその発表の場として施設を貸し出す「世田谷文化生活情報センタ-生活工房」、約600席の客席を備えた「世田谷パブリックシアター」「シアタートラム」などを内包した複合施設だ。26階の展望ロビーは無料で利用することができ、天気の良い日には富士山も望める。

 三軒茶屋駅の南側にある昭和女子大学の「人見記念講堂」は、約2000席の客席を備えたホールであり、充実した音響機器を備えた音楽ホールとして有名だ。
 また、旧・世田谷区立池尻中学校の校舎を活用・改装して生まれた「IID世田谷ものづくり学校」は、多彩な才能・分野のクリエーターによる創作活動の拠点として注目を集める。

交通至便な街で駅周辺はマンション群

 三軒茶屋駅付近や玉川通り、世田谷通り沿線には、数多くのマンションが建ち並んでいるが、駅から少し歩くと閑静で穏やかな住宅街が広がる。三軒茶屋駅から東南にしばらく歩くと、区画の整った一戸建住宅が並ぶ下馬だ。敷地も比較的広い邸宅と言えるような住宅も点在する。また、「世田谷公園」や「こどものひろば公園」など緑地も比較的豊富なエリアといえる。

 エリアで現在販売中の新築分譲マンションをみると、東急「三軒茶屋駅」から徒歩6分の三軒茶屋2丁目に建設している「ディアナコート三軒茶屋」の販売価格は1LDK~3LDK(34.14~80.72平方メートル)が5100万円から1億1700万円となっている。

 キャロットタワーを起点に発進する2両編成の路面電車のような風情の東急世田谷線は、三軒茶屋と下高井戸(京王線)を結ぶ世田谷区内を唯一南北に走る重要な鉄道だ。沿線には江戸の名残が感じられるスポットも多く残る。「松陰神社前駅」駅名の由来となった「松陰神社」は、幕末の思想家・吉田松陰が祀られることで知られる神社だ。また、「上町」駅南側にあり都内の代官屋敷としては随一の規模を誇り、「招き猫」発祥の古刹といわれる「豪徳寺」など、世田谷線沿線には歴史が感じられる史跡も多い。

至便な鉄道交通アクセスを活かす再開発計画進む

 三軒茶屋は交通アクセスにも恵まれたエリアだ。東急田園都市線「三軒茶屋」駅から「渋谷」駅までは東急田園都市線急行で1駅わずか5分。東京メトロ半蔵門線に相互直通運転をしているので表参道や永田町、大手町など、都心部へもダイレクトにアクセスできる。「渋谷」駅でJR山手線、あるいは地下鉄副都心線を使えば、新宿や池袋、品川や東京など都内の主要ターミナルへのアクセスも至便だ。

 三軒茶屋は90年代から再開発事業が進められ、1996年のキャロットタワーなどの完成以降、大きな動きはなかった。が、ここへ来ていわゆる“サンチャ三角地帯”と云われるエリアで、第4工区としての再開発準備が進んでいるようだ。2019年3月に世田谷区は再開発計画を策定、中核となる地域開発を「三茶Crossing」と名付けた。区が掲げた課題は、公共空間および動線の創造、建築物老朽化の解消、商業施設と住宅の調和だ。

 三軒茶屋駅を中心とした半径300mエリアの「三茶Crossing」再開発イメージはまず、地域の交通の要衝としてスムーズネスにあるという。駅から他の交通機関まで、バリアフリーに接続する歩行者空間を設けたうえで、多様な使い方のできる公共空間を設置。田園都市線三軒茶屋駅を起点とした地下空間、歩行者広場、ビルと駅を接続する地下通路などの整備を行う模様だ。また、歩行者の南北移動を円滑化するため、玉川通りを横断する動線を複数確保し、三軒茶屋エリアの南北の断絶を無くす計画だ。
 商業施設と住宅の融合を標榜する再開発、まだしばらく時間を要するようだ。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

 世田谷区のコラムに戻る