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  • 2020.05.18
NO.299
東京都新宿区「牛込」の特徴

江戸の武家屋敷町だった超都心の旧「牛込」エリアは情緒溢れる地名が残る

東京都新宿区「牛込」の特徴とマンション

 都営大江戸線の牛込神楽坂駅は、地下鉄の開通と共に2000年に開設。その後、順調に乗降者数が増加している。牛込神楽坂駅は大久保通りに面し、日中は交通量・人通り共に多いが、少し小道に入ると、昔懐かしい閑静な住宅街が続く。

 駅周辺のエリアは江戸時代、武家屋敷が集中した地域で、伝統ある山の手の住宅街である。一方、神楽坂周辺には町屋も形成された。古くからこの地に住む住民の多くが、コミュニティ活動を活発に行なってきたことも地域の特色である。狭い路地はほぼ江戸時代のままであり、住居表示に伴う地名の改廃が他の地域にくらべて極めて少ないため、江戸の雰囲気を感じ取ることができる地域名称が数多く残る。

超都心の住宅街は底堅い人気

 牛込神楽坂駅「A3出口」先の神楽坂通りには小規模商店・飲食店が集積している。JR飯田橋駅とも近く、早稲田通りを越えると神楽坂アインスタワーがあり、ビジネス街としての街並みに変化する。

 牛込神楽坂駅北側には常念寺や大信寺といった神社・仏閣が多数あり、独特の雰囲気の街並みが形成される。牛込神楽坂駅周辺での再開発の予定は特段ないが、隣駅で距離も近いターミナル駅の飯田橋では、駅前の再開発が進行している。

 周辺のエリアでは2011年以降、牛込神楽坂駅周辺・住宅地区の路線平均値は、ほぼ横ばい状態が続いていたが、2014年から急激に上昇し、2015年には前年比103.2%と上昇幅を広げ、牛込中央通りに沿った中町、南町周辺では70万円/平方メートルを超えるスポットもある。超都心の立地で、高級感のある江戸情緒も感じられる住宅街は今後も底堅い人気を維持すると思われる。

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江戸の「箪笥」はタンスではなかった

 2000年の年末に開通した都営地下鉄大江戸線「牛込神楽坂」駅にある区域案内板に駅A1出口に「箪笥町区民センター」の案内がある。駅の住所も箪笥町だ。この町名、いったいどうした由来なのだろう。日本人が忘れた漢字「箪笥」は、引き出しのあるカタカナの家具「タンス」を連想させる。しかし、この町名の「箪笥」は家具のタンスではなく、どうやら武器に関係するものらしいのだ。

 江戸時代、箪笥町には、幕府の武器をつかさどる具足奉行・弓矢鑓奉行組同心の拝領屋敷があった。幕府の武器を総称して「箪笥」と呼んだことから、エリアは1713年(正徳3年)に牛込御箪笥町となった。その後、冠称「牛込」がとれ、現在の箪笥町になったという。が、大江戸線開業に向けて駅名に“牛込”を冠したのは、地域住民の「牛込」に対する愛着はとても強いことが挙げられる。

 牛込神楽坂駅から箪笥町付近を歩くと、ほかにも何となく江戸風情を感じさせる、いわくありげな町名が目を引く。

 箪笥町が置かれた旧牛込区は、1878年(明治11年)、郡区長村編制法によって成立した東京15区のひとつで、「牛込」という地名は「牛が多く集まる」場所を意味し、その時代に牛の牧場があったからとされている。

現在の袋町一帯に牛込城が──伝承

 西暦701年(大宝元年)、大宝律令のより武蔵国に「神崎牛牧」という牧場が設けられ、「乳牛院」という飼育舎がこの地に建てられたという。古代の馬の牧場が都内に設けられ、それぞれ駒込、馬込の地名で残されており、「牛込」も同様な由来と考えられる。確実な資料が残っているわけではないが、伝承によれば、現在の袋町の光照寺を中心とした一帯に牛込城があったとされる。

 1872年(明治5年)ごろから東京都心に、ホットミルクを一杯頼めば新聞が閲覧できる「新聞縦覧所」ができはじめて牛乳需要が増え、その名のとおり牛込区内で乳牛牧畜が広く営まれ、代々木付近の畜農家と競争関係にあったとされる。

 江戸時代には、この区域のほとんどは、武家地であり、町名にも武家地に由来する名称が数多く残る。納戸町、払方町、細工町などは、箪笥町と同じように、地域の屋敷の武士の役職名に由来して命名された町名だ。

 納戸役は、将軍家の金銀・衣服・調度の出納や大名旗下の献上品・将軍の下賜品を取り扱っていた役職で、そのなかで下賜品を取り扱ったのが払方。御細工は江戸城内建物・道具の修理・製作にあたっていた役人だ。また、武家らしい名称の町名も残る。二十騎町は、先手与力の屋敷地であったことに由来する。1組10人で構成される先手与力が、2組20人居住していたことから、二十騎町と俗称され、現在の町名となった。

 エリアのほとんどを武家地とされるが、もちろん寺社地や町屋なども存在していた。津久戸町・若宮町・市谷長延寺町・市谷薬王寺町は、それぞれ、筑土八幡・若宮八幡・長延寺・薬王寺の門前町であったことに由来する。市谷左内町は、江戸時代の元和年間に、名主の島田左内によって町家が開かれたことに由来して名付けられた。
さらに、江戸時代初期に、山伏修験者が多く居住、俗に牛込山伏町とよばれていた町が、現在の南山伏町・北山伏町・市谷山伏町となっている。

再開発事業が進む「牛込柳町駅」周辺

 大江戸線・牛込神楽坂駅の隣、牛込柳町駅は市谷柳町に由来する駅名で、駅の住所は隣町の原町だが、駅南東口と駅本体は柳町の町内地下にある。厳密に「牛込柳町」という町名は現在存在せず、単に柳町と呼ばれることも多い。そのため、駅新設にあたって牛込冠称の駅名を採用した。地元新宿区牛込地域住民の「牛込」に対する愛着がとても強いことの表れといえる。

 この柳町エリアでは、地域を縦断する外苑東通りの拡幅工事に伴って再開発事業が進み、ガイドラインが協議され設定された。エリアの住宅街構想では、30戸以上の集合住宅において、専有面積が40平方メートル以上の住戸が過半数以上必要と規定され、ファミリー層の導入を図る。駅徒歩3分の立地で建設が進むマンション「クリオ市谷柳町」でも、この規定に準拠して設計されている。

 また、牛込柳町で2019年2月に開設された地域活動拠点「みちくさくらす」が、第13回日本都市計画家協会賞の「優秀まちづくり賞」に選ばれ、9月8日の最終選考で「全国まちづくり会議特別賞」をダブル受賞した。

 ここまで江戸に由来し、牛込エリアで現在まで受け継がれている町名を挙げてきたが、この牛込エリアにはほかにも、揚場町・白銀町・横寺町・袋町・岩戸町など、江戸時代から受け継いでいる町名が比較的多い。超都心という立地にありながら江戸の風情を感じさせる街並みが、静かな人気に繋がっているようだ。

吉田 恒道

Yoshida Tsunemichi

大学卒業後、ファッション専門誌の編集者を皮切りに、音楽誌、自動車専門誌などの編集者を歴任。その後、複数のライフスタイル誌の編集長を経てフリーに。著書に「シングルモルトの愉しみ方」(学習研究社)がある。

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