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- 京都府相楽郡精華町の特徴
かつての都、恭仁京のあった街は、いま関西文化学術研究都市
京都府相楽郡精華町(せいかちょう)は、京都府の南西端に位置し、併せて日本そして近畿圏のなかで、ほぼ地理的中心に位置する。西部と南部はなだらかな丘陵、東部には平坦な農地が広がり、東端には木津川が流れている。年間の平均気温は約摂氏15度で、温暖な気候に恵まれている。面積は25.68平方キロメートルだ。
京都府・相楽郡精華町のマンション
2018年、京都府・精華町で販売された中古マンション相場価格は1610万円~2380万円だった。
精華町では計画的な都市開発が進められ、丘陵が宅地開発され、平城・相楽ニュータウンなど市街地も拡張されている。研究都市及び宅地開発の進展に比例して人口も増加し、2019年1月現在、京都府精華町の人口は、同市の発表によると3万7466人で、総世帯数は1万4913世帯である。
2005年の国勢調査によると、人口3万4540人、人口増加率が29.9%と全国の他の市町村を大きく引き離して1位だった。とくに1995年から2005年までの人口が急激に増加した。
京都、奈良の都を結ぶ交通・商業の要衝として発展
精華町西部の丘陵地からは、湧出宮跡や椿井大塚山古墳など縄文・弥生時代の遺物が多く出土し、古くから集落があったことが分かっている。
市の中央を流れる木津川は、3~4世紀には既に水運交通路として利用された。
740年(天平12年)、恭仁京に遷都され、交通・商業の要衝となり、その後、都が平安京に遷されてからも、平城京との間を結ぶ街道の拠点となり、さまざまな文化が融合する地域となった。
鎌倉時代後半からは集約的な栽培農業により農業生産力が高まり、農民層の中で自治的な村が形成される。
1872年(明治元年)に京都府が発足し、相楽郡はその行政区に組み込まれた。
1889年(明治22年)に現在の精華町に旧来からあった村が再編成され、相楽郡狛田村、祝園村、稲田村、山田荘村が置かれた。
関西文化学術研究都市を形成する街で、計画的な開発が進む
1951年(昭和26年)、川西村と山田荘村の2カ村が合併して精華村が誕生する。そして、1955年(昭和30年)に人口9493人で町制を施行した。
現在、京都府相楽郡精華町は、京都府の南西で奈良県との県境に位置する大阪市や京都市のベッドタウンであり、自然の多い地域だが、相楽ニュータウンなど宅地開発が進んでおり、人口も増えている町である。
関西文化学術研究都市の一部であり、国立国会図書館関西館などの文化施設や研究機関が集積。多くの町民に親しまれる「けいはんなプラザ」には、ホテルや、レストラン、銀行などの商業施設も揃っている。
ここで言う「けいはんな」とは首都圏近郊の人々には馴染みが薄いが、漢字で表現すると分かりやすい“京阪奈”である。
周辺には、けいはんな記念公園があり、人々が集い散策や花の鑑賞を楽しむ。相楽郡精華町内にはJR片町線と近鉄京都線が通り、京奈和自動車道精華下狛ICがあるため、京都・奈良方面にもアクセスしやすく交通の便のよいエリアだ。
京田辺市、木津町、精華町の関西文化学術研究都市の3市で、人口10万人の合併構想があったが、白紙撤回となった経緯がある。