千葉県八千代市の特徴を知る
千葉県「八千代市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
日本初の大規模団地の竣工、1970年代に一挙に人口増となった住宅都市
八千代市は千葉県北西部の葛南地域に位置する総面積が51.27平方キロメートルの自治体だ。市の北側は、下総台地の緑豊かな自然が残ったエリアであり、南側は、森を残しながら、その景観に配慮した市街地が形成されている。
同市中央には市のシンボルともいえる新川が南北に流れ、市域北部は緑豊かな自然が残るエリアであり、南部は自然環境を活かし景観に配慮した市街地が形成されている。
千葉県・八千代市のマンション
2018年、千葉県・八千代市で販売された新築マンションは203戸で、相場価格は不明。同市内の中古マンション相場価格は1400万円~3290万円。
2019年1月末現在、千葉県八千代市の人口は、同市の発表によると19万8858人、総世帯数は8万8527世帯。県内で市原市に次ぐ県内7位の人口だ。1975年には、人口10万人以上の市で全国一の人口増加率となり、年少人口も多かった。その年代の住民は、現在でも京成線沿線に多く住んでおり、高齢化が進んでいる。八千代市の予測によると、同市人口は今後も緩やかな増加傾向を示し、2028年ごろに20万人超でピークアウトするとされる。
日本初の大規模公団住宅団地が発展の基盤となる
歴史上、当市エリアに八千代という名称が登場したのは、1954年(昭和29年)に干葉郡大和田町と睦村が合併、八千代町が誕生したことによる。同年9月に印旛郡阿蘇村を合併、当時の人口1万5618人だった。1956年(昭和31年)に京成八千代台駅が開業。翌1957年(昭和32年)に日本住宅公団による日本初の大規模住宅団地「八千代台団地」が完成する。
1967年(昭和42年)、市制が施行され千葉県八千代市が発足した。
1968年(昭和43年)、国道16号、米本~島田間開通。京成勝田台駅開業。勝田台団地の入居が開始された。
1970年(昭和45年)には、東葉高速鉄道の原点となる千葉県内陸鉄道促進期成同盟が発足した。
県道船橋~佐倉線「成田街道」が国道296号となった。国道16号、米本~辺田前間開通し、米本団地でも入居が開始され、八千代市は千葉県内トップの人口増加率となった。1972年に高津団地が入居開始となった結果、1973年に同市の人口は10万人を突破する。
1975年(昭和50年)、佐倉市西志津地区の一部が八千代市に編入される。人口10万以上の市で全国一の人口増加率となった。
東葉高速鉄道が開業で、市内に4駅開設。市域の発展を促進
その後も住宅団地の造成が行われ、人口増が続く。平成に入り都市基盤の整備が進み、1996年(平成8年)に東葉高速鉄道が開業、市内には八千代緑が丘、八千代中央、村上、東葉勝田台の4駅が設置された。2006年(平成18年)には、同市の積極的な誘致が功を奏し、待望の東京女子医科大学八千代医療センターが開業した。
八千代中央駅周辺では、駅開業前より団地が建設され、開業後も周辺の宅地化や高層マンションの建設が進んだ。が、旧来の住宅街も残っている。駅周辺には八千代警察署、八千代市消防本部などの行政機関があるほか、市民会館や八千代総合運動公園があり、同市の中核地域でもある。
同市は、1967年の市制施行以来、首都近郊という立地条件、かつ緑豊かな自然環境を有する、都市と自然とのバランスに優れた街として発展。現在も東葉高速鉄道沿線を中心に宅地開発が進められている。2017年(平成29年)、市制施行50周年を迎える。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道