千葉県我孫子市の特徴を知る
千葉県「我孫子市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
首都圏のベッドタウンとして発展を続ける下総国の難読都市「あびこ」
千葉県我孫子市は、海抜約20mで、南北最長部は約4km、東西延長約14km、市域総面積は43.15平方キロメートルだ。地図上でみると千葉県の北西部に位置し、東に印西市、南と西は手賀沼を境に柏市があり、北は利根川をはさんで、茨城県取手市・北相馬郡利根町と隣接し、手賀沼と利根川にはさまれた細長い馬の背状の土地だ。
1955年(昭和30年)4月に我孫子町、布佐町、湖北村が合併して我孫子町となり、千葉県下で22番目の市として、1970年(昭和45年)7月に市制施行した。豊かな水と緑に恵まれ、都心から約40km、常磐線で35分の近距離に位置し、首都圏へ通勤する人々の住宅地・ベッドタウンとして発展してきた。国内で難読都市名のひとつとされる市である。
千葉県・我孫子市のマンション
2018年、千葉県・我孫子市で販売された中古マンション相場価格は1470万円~3010万円だった。
2019年1月現在、千葉県我孫子市の人口は、同市の発表によると13万2216人。そのうち外国人は2020人。総世帯数は5万8971世帯である。
市域名の地名「我孫子」は、難読な地名として知られている。我孫子市域をさす「あびこ」として歴史に残る最古のものは、鎌倉時代末の正和2年(1313年)の「尼しんねん譲状」(土地の相続をめぐる遺言書)に「しもつさのくにあひこのむら」(下総国我孫子村)だ。少なくとも鎌倉時代に「あびこ」と呼ばれていた。
また、発掘調査の結果、我孫子には水神山古墳(高野山、全長69mの前方後円墳。4世紀後半。千葉県北西部地区最大の古墳)が作られ、古墳時代の早い時期から大和朝廷と深い繋がりがある人物の存在があったようだ。
明治期、成田鉄道成田線開通、さらに上野と直結で大きく発展
我孫子が大きく発展するのは明治時代になってからだ。1889年(明治22年)、全国で市町村制が施行され、同市域でも我孫子町、湖北村、布佐町として町制を施行した。1901年(明治34年)、成田鉄道会社が成田線(我孫子~成田)開通し、湖北駅、布佐駅を開設する。翌、1902年、成田鉄道が上野駅と成田駅との間に1日2往復の直通旅客列車運転開始したことで、東京市と結ばれる。
大正時代になって、日本文壇の白樺派にあった作家の志賀直哉や武者小路実篤、思想家・哲学者の柳宗悦(やなぎ むねよし/そうえつ)らの文人が我孫子地区に居住するなどして、旺盛な創作活動を行なったという。
戦後、ベッドタウンとして伸長する住宅都市
現在の我孫子市は、大きく5つの地区に分けられる。そのなかで我孫子地区は、1940年(昭和15年)代後半に入り常磐線から手賀沼を望む高台にかけ住宅地が増えたが、斜面林をはじめ手賀沼を取り巻く水辺の自然が身近にある緑豊かな地区だった。その環境に惹かれ、大正時代に先の白樺派の文人をはじめ数多くの文化人がこの地区に居住し、今もその邸宅などが残されている。この頃、我孫子は「北の鎌倉」とも称され、別荘地としても名を馳せたという。
その後、1970年(昭和45年)代後半に入り、地区北側を中心に民間による大型宅地開発が進み、住宅地へと変わり、現在では市内で最も人口が多く、市の中心地となっている。
いっぽう、天王台地区は、1960年(昭和35年)代前半から東我孫子駅を中心が住宅地となるまで、地区内の多くは農地や樹林地だった。1971年(昭和46年)の天王台駅開設に伴い、宅地開発が行なわれ、天王台駅南西部には数多くのマンションが建設された。また、地区東側の利根川沿いには大規模事業所と大学が立地し、天王台駅周辺は中心地として賑わいをみせるエリアだ。
湖北地区は、1960年(昭和35年)代から宅地化が進み、1970年頃から住宅都市整備公団により湖北駅南で大規模整備が行なわれ、中層の集合住宅を含む住宅地が形成され、湖北駅北側でも区画整理や民間宅地開発が進み、現在の街並みとなった。
新木地区は、1960年代に入り、気象送信所の北側で宅地開発が行なわれ、地区西側でも宅地開発が実施された。さらに、1988年(昭和63年)には新木駅南側で土地区画整理事業が施行、現在新たな市街地の形成が進む。また、身体障害者福祉センターや県養護学校などの福祉施設が集積し、利根川沿いには、市民体育館、利根川運動公園などの施設が配置された市内のスポーツの拠点となっている。
いっぽう、布佐地区は、江戸時代から利根川の水運で栄えた河岸の町、商業都市であり、街並みも利根川に沿う成田街道(国道356号線)で早くから形成され、柳田國男や岡田武松など文化人との関わりも深い。古くからの祭礼が残る歴史ある地区だ。
現在、我孫子市・野田市・柏市・流山市・松戸市・鎌ケ谷市のいわゆる「東葛6市」での合併による政令指定都市構想があり、この6市で構成される東葛広域行政連絡協議会内に「政令指定都市研究会」を設けている。この研究会の委員は、6市の企画担当部長職で構成され、その下に担当課長等で構成するワーキンググループを設けている。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道