千葉県船橋市の特徴を知る
千葉県「船橋市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
江戸時代から交通の要衝、圧倒的な鉄道網で東京の衛星都市として発展
千葉県船橋市は千葉県北西部の葛南地域に位置し、東京都心から20km圏にある。同市面積は85.62平方キロメートル。名称の由来は諸説あり日本武尊(やまとたけるのみこと)や景行天皇(けいこうてんのう)の東征にまつわる伝説にもあるようだが、市のホームページによると「古代、海老川に船を並べて橋としたことから起こったのではないか」としている。
千葉県・船橋市のマンション
2018年、千葉県・船橋市で販売された新築マンションは1127戸で、同市で販売した新築マンション相場価格は2841万円~4960万円だった。同市内の中古マンション相場価格は1610万円~5880万円である。
2019年1月現在、千葉県・船橋市の人口は、同市の発表によると63万9598人。総世帯数は30万1667世帯。そのうち外国人は1万7959人だ。人口は同県内の千葉市に次いで県内で2番目となる自治体だ。また、東京特別区を除く全国の市町村で21番目の人口を擁する。2011年に同市は中核市に移行した。
江戸時代、複数の街道が交錯する交通の要衝として発展
船橋市域は江戸時代直前、1590年に豊臣秀吉の後北条氏征服の後、関東地方の多くは徳川家康の領地とされ、船橋地方は代官領と旗本領となった。江戸期になり、徳川幕府は街道の新設・整備を行ない、そのひとつとして船橋から東金に至る御成(おなり)街道の整備も実施された。船橋はそのほか佐倉(成田)街道、上総街道、行徳街道の集中する交通の要衝となり、宿場として発展。江戸後期には旅館数が30軒にも上ったとされる。
明治維新後、1889年(明治22年)に全国の町村制が施行され、明治初期に44あった市域の村は、東葛飾郡船橋町・葛飾村・八栄村・塚田村、千葉郡二宮村・豊富村の1町6村にまとめられた。
鉄道網の整備で急速に東京の衛星都市として発展
1894年(明治27年)、私設の総武鉄道が市川~佐倉間に開通し、間もなく本所(錦糸町)まで延長となった。その後、同鉄道は国有化され、1908年(明治41年)に千葉まで複線化となった。京成電鉄の前身である京成電気軌道は、1911年(明治44年)に着工、1916年(大正5年)に船橋まで延長。こうした鉄道網の発達によって、船橋の町の機能を地方都市から東京の衛星都市へと変化させた。1919年(大正8年)、松戸競馬倶楽部(現在のJRA中山競馬場)が、現在地に創設となった。
船橋市は1937年(昭和12年)に、船橋町・葛飾町・八栄村・法典村・塚田村が合併し、千葉県下4番目の市として誕生した。当時の面積は約40平方キロメートル、人口は約4万3000人だった。
船橋市街は大戦の戦災をまぬがれ、農産物・海産物の集積地として買い出しのメッカとなり“日本の上海”とも称されたという。
1953年(昭和28年)に千葉郡二宮町が、翌1954年に千葉郡豊富町が船橋市に合併となる。これを機に船橋市の面積は38.6平方キロメートルから79.9平方キロメートルと約2倍になり、人口は一挙に11万人超となった。
1960年代以降、工業地、商業地の大規模な変遷を経て中核都市となる
東京湾最奥部に面し、かつては遠浅の海岸の浅瀬・干潟が広がっていたが、1960年代に入って京葉工業地帯造成が始まり、船橋市も呼応して1956年から埋め立てによる工場用地造成をスタート。たくさんあった干潟のほとんどが埋め立てられた。1964年には中小企業団地も造成されるようになる。60年代後半から習志野や藤原で大規模工業団地の造成が行なわれ、食料品工業を中心とした産業が誘致される。製缶工場から一貫生産するサッポロビール工場をはじめとした大型食品コンビナートが形成されている。
1960年代以前は、旧宿場町の本町通りと船橋駅から南に延びる駅前通りが商業の中心地だったが、1967年(昭和42年)に現JR船橋駅南口に西武百貨店、1977年(昭和52年)、北口に東武百貨店が出店。同時期に津田沼駅周辺に相次いで「PARCO」などの大型店が進出したことから、このふたつの駅周辺ゾーンが大きな商業地となった。1981年には船橋ヘルスセンター跡に日本初の「ららぽーと」がオープンし、船橋商業地の第3領域となった。ただし、津田沼駅の正式所在地は習志野市だ。
バブル経済後の1993年7月に、ららぽーと隣接地に屋内型人工雪スキー場「ららぽーとスキードームSSAWS(ザウス)」が開業、同年11月に来場者数が40万人を超えるなど人気を集めた。が、その後は来場者数が減少して業績が低迷したため2002年9月に閉鎖された。跡地には大型家具チェーン「イケア船橋店」が2006年に開業した。
バブル崩壊後、宅地開発に伴う郊外型大規模ショッピングセンター進出や工場跡地などの再開発事業、市内のみならず東京都心や周辺地域との競争激化で、これら駅周辺商業地もまた地盤沈下が激しい。
船橋市内には37の鉄道駅があり鉄道網は発達している。ただ、都心から西へ向かう路線がほとんどで、市内を南北に移動するのは、やや不便。同じように主要道路も東西方向に伸びており、慢性的な交通渋滞が起きる。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道