兵庫県姫路市の特徴を知る
兵庫県「姫路市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
全国で初めて中核市に移行した兵庫県神戸に準ずる人口を擁する複合都市
兵庫県姫路市は、広い平野と、穏やかな瀬戸内海、温暖な気候と豊かな産業に恵まれ、独自の風土を形成してきた。なかでも城下町として栄えた江戸時代の中ごろは、藩主酒井公が学問を奨励したこともあって豊かな文化が花開く。その文化が明治以降に日本を代表する学者や文人を輩出する街の基本となった。
兵庫県・姫路市のマンション
2018年に兵庫県・姫路市で販売された新築マンションは285戸。新築マンションの相場価格は2515万円~3898万円だった。中古マンション相場価格は1050万円~3360万円である。
姫路市は、兵庫県南西部の播磨地方にあり、県内で神戸市に次ぐ人口を擁する自治体だ。2019年1月現在、人口は53万7101人で、総世帯数は23万7546世帯である。姫路市の総面積は534.35平方キロメートルだ。1996年(平成8年)、全国で初めて中核市に移行した。中核市とは、地方自治法の改正によって創設された都市制度で、政令指定都市に準じる権限を持つ都市。
播磨国府としての歴史ある、世界遺産「姫路城」の街
姫路が播磨の中心になったのは、大化改新以降に播磨国の国府が置かれたことに始まり、8世紀中ごろに聖武天皇の勅令で国分寺が建てられた。広峯神社や書写山円教寺などの古刹が創建されたのもこの時代である。
室町時代に入ると、播磨の豪族赤松氏によって姫山に砦が築かれ、その後に秀吉が天守閣を持つ姫路城を築城。次いで姫路に入った池田輝政が現在世界遺産である姫路城を築いた。
近代の姫路は、1889年(明治22年)、全国の市町村施行にともない、市制施行となり姫路市が誕生した。1931年(昭和6年)に姫路城が国宝指定となる。以降、戦後も周辺自治体と合併を繰り返し、2006年(平成18年)3月27日に飾磨郡家島町・夢前町、神崎郡香寺町、宍粟郡安富町を編入合併し、ほぼ現在の市域となる。
臨海部で発展した重工業地帯と姫路の不思議、地場産業「マッチ」
姫路市の臨海部は、大規模な工業地帯であり戦前から現・新日鉄住金など製鉄業が発展した。また、東芝の半導体工場や三菱電機姫路工場などが操業する。さらに関西電力姫路第一発電所、姫路第二発電所や大阪ガス姫路製造所なども立地する。
姫路市の不思議のひとつ。同市には、飾磨区細江や網干区新在家などといった「区」が付く地名がある。これらの「区」は、東京都の特別区や政令指定都市の区とは違う。姫路市の「区」は地方自治法が施行される以前の1946年3月に姫路市と、当時の飾磨市、飾磨郡広畑町、同郡白浜町、揖保郡網干町、同郡大津村、同郡勝原村、同郡余部村の2市3町3村が合併したときの名残だ。それぞれ現在の飾磨区、広畑区、網干区、大津区、勝原区、余部区となった。つまり飾磨区細江など「◎◎区▲▲」でひとつの地名なのだ。姫路市の「区」は、東京都の特別区や政令指定都市の区とは異なり、区役所はない。
また、世界遺産である姫路城の所在地「姫路市本町68番地」には、周囲の病院・高校・美術館なども含まれており、単独の番地としては東京・皇居の千代田区千代田1番地に次ぐ広さといわれる。そのため本町68番地は場所によって校区が異なる。本町68番地は本来、姫路城の中曲輪の内側であり、戦前は陸軍歩兵第十連隊が置かれていた場所である。
姫路の地場産業として有名なのが、「マッチ」生産だ。明治維新直後、国内産業振興のため、全国各地にマッチ工場がつくられた。
そのなかで兵庫県では姫路の就光社、尼崎の慈恵社が設立されました。しかし、明治10年~20年に起こった経済恐慌には持ちこたえられずに、職員がそれぞれ「独立」し神戸、大阪にマッチ工場をつくり、日本を代表する貿易港である神戸港からマッチが輸出されるようになった。
神戸で造船・鉄鋼・ゴム製品などの工業が発達するとマッチ生産の中心が西へ移動し、雨が少なく温暖な「瀬戸内海性気候」が乾燥工程の多いマッチの製造に適していたため、姫路の地場産業で輸出産業となった。現在は姫路地域で国内生産の約90%を占めている。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道