東京都三鷹市の特徴を知る
東京都「三鷹市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
文人に愛された文化の香り高い先進施策の街、水と公園に恵まれた公園都市
三鷹市は東京多摩地域東部にあり、23区との境界にある自治体だ。東は杉並区と世田谷区に接し、北は武蔵野市、南は調布市に、西は小金井市にそれぞれ接している。面積は16.42平方キロメートルだ。
三鷹市の名称の由来は江戸時代、徳川将軍家および御三家が鷹狩りを行なった鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領、府中領、野方領に跨がった地域で「三領の鷹場」にあるとするが、旧三鷹村役場火災による資料焼失のため定かではない。
三鷹市は、武蔵野台地の中央部南端に位置する。西南端を流れる野川付近は、立川段丘と呼ばれ、市内で最も標高が低い。一方、市域のほとんどを占める地域は、武蔵野段丘と呼ばれ、牟礼の里付近が市内の最高点だ。このふたつの段丘の間は、国分寺崖線呼ばれる急斜面によって分けられる。
国分寺崖線下には多数の湧水地点があり、野川には、この豊富な湧水が注ぎ込む。
東京都・三鷹市のマンション
2018年、東京都・三鷹市で販売された新築マンションは780戸。同市で2018年に販売した新築マンション相場価格は不明。同市内の中古マンション相場価格は3220万円~7980万円。
三鷹市の2019年1月現在の人口は、18万7199人。総世帯数は9万3665世帯だ。
文化の香り高い街、先駆的施策を実施してきた「みたか」
三鷹は、武者小路実篤、三木露風、山本有三、太宰治など多くの作家たちが住んだ街として知られる。三鷹の地で多くの名作を残した太宰治を顕彰した新人作家の登竜門である「太宰治賞」は、しばらく中断した後、1998年(平成10年)、太宰治没後50年を記念して筑摩書房と協働で復活した。2008年(平成20年)には「太宰治文学サロン」を開設しており、現在は東京都と連携して、都立井の頭恩賜公園内に「三鷹市立太宰治文学館(仮称)」ならびに「三鷹市立吉村昭書斎(仮称)」の整備に向けた準備を進めている。
2001年(平成13年)、都立井の頭恩賜公園西園に「三鷹市立アニメーション美術館(三鷹の森ジブリ美術館)」が誕生。スタジオジブリの宮崎駿監督が館主を務められ、館内展示の監修及び美術館のみで上映される短編作品を監督している。
三鷹市は全国でも先駆的な施策を実行してきた自治体のひとつだ。1973年(昭和48年)に「全国初の公共下水道普及率100%」を達成した功績を評価されて、2009年(平成21年)に「下水道法施行50周年:国土交通大臣功労表彰」を受けた。また、公共施設の適切な維持管理の取り組みが評価され、2011年(平成23年)に、「第5回ファシリティマネジメント大賞最優秀賞」を市町村で初めて受賞した。さらに、1956年にすでに全国初のゼロ歳児保育施設を設置した。
「みたか市民プラン21会議」、官民共同プロジェクト「あすのまち三鷹」、三鷹ネットワーク大学での市民、大学・研究機関、企業との協働などが成果をあげ、2005年度のインテリジェント・コミュニティ・オブ・ザ・イヤー世界1位に選出された自治体だ。
また、三鷹市では2009年9月、市内のすべての公立小中学校が中学校学区単位に小中一貫校へ移行。「にしみたか学園」「三鷹の森学園」など7つの学園に生まれ変わった。9年間の一貫カリキュラムを実践し小中学校間の連携を図っている。
豊富な水と公園のある街、公園都市「みたか」
市北東には井の頭恩賜公園、井の頭池があることで有名だ。市内には河川が多く、東南方向に流れる神田川は、この井の頭池を源流とする。隣の武蔵野市との境界を流れる玉川上水は、JR三鷹駅の下を通過して井の頭公園を横切って牟礼地区を流れる。旧米軍ゴルフ場跡の野川公園を縦断する野川が流れ、市内の上連雀、下連雀から新川地区を横断する仙川が流れている。
三鷹市は都内屈指の緑豊かな公園都市でもある。前述の井の頭恩賜公園のほか、小金井市・調布市にまたがる広大な野川公園、国立天文台三鷹キャンパス、調布市と府中市にまたがる調布飛行場武蔵野の森のほか、国際基督教大学キャンパス・ルーテル学院など桜の名所が随所にある。
先の大戦前、三鷹市には正田飛行機、三鷹航空、中島飛行機研究所などの航空機を設計・製作する軍需産業が盛んだった。が、戦後に解体され現在、大規模工業工場地帯はほとんど残っていない。中島飛行機研究所の跡地には、冨士重工業(現:SUBARU)の子会社で、モータースポーツ&スポーツカー製造を担うスバルテクニカ・インターナショナル(STI)がある。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道