東京都国立市の特徴を知る
東京都「国立市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
1951年、東京初の「文教地区」指定を受け、緑豊かで閑静な街並み維持
国立市は、東京都の中央部にあって、東は府中市、西は立川市、北は国分寺市、南は多摩川をはさんで日野市と接する。
JR国立駅から南へ真っすぐ伸びる大学通りは、幅が約44mもあり、街のメインストリート。現在、その道の両側のグリーンベルトには、桜といちょうが交互に植えられ、春には桜の花びらのカーテンが街をピンク色に染め、秋にはいちょうの葉が黄金色の輝きを放つ。この景色は、新東京百景にも選ばれ、「くにたち」の象徴となっている。
東京都・国立市のマンション
2018年に東京都・国立市で販売された中古マンションの相場価格は2520万円~5880万円である。
ドイツの学園都市をモデルに計画的に開発した「理想の文教都市」
1889年(明治22年)の全国的な市町村制施行にともない、谷保村・青柳村・石田村飛地の3カ村が合併し、国立市の前身である「谷保村」が誕生。
大正時代末期まで、谷保村は甲州街道沿いに数百戸の農家が点在するだけだった。が、箱根土地株式会社(現在のプリンスホテル・グループ)によって、ドイツの学園都市・ゲッティンゲンをモデルに地区開発を行ない、山林であった北部の開発が進められた。「理想の文教都市」を目指し、1926年(大正15年)に、東京高等音楽学院(現・国立音楽大学)の移転、国立駅の開業、1927年(昭和2年)の東京商科大学(現・一橋大学)の移転が実施された。
また、1934年(昭和9年)に、前年の皇太子(今上天皇)誕生を記念し、大学通りに桜の植樹が行なわれた。
東京の自治体で初の「文教地区」の指定を受けた街
1951年(昭和26年)に谷保村が国立町となり、国立市域の教育環境を守るため、市民や学生を中心に「文教地区指定運動」が起こり、1952年(昭和27年)に文教地区の指定を受けた。
文教地区とは、地方自治体が都市計画区域内に指定した特別用途地区のこと。教育施設の周囲や通学路に、教育上好ましくないとされるパチンコ店や風俗店、ホテルなどの業種の進出を規制できる指定地区だ。
1950年代、周辺都市の急激な人口の増加に加え、米軍立川基地関係者への風俗店など立川駅周辺の環境も悪化しつつあった。街の環境を守ろうと考えた国立の市民、学生たちは、1950年12月に公布されたばかりの「東京都文教地区建築条例」注目し、文教地区指定を求めて運動を始めた。街の発展が阻害されるとする反対派の声もあったが、議論の結果、国立が東京で初めて「文教地区」の指定を受けた。多くの学校を擁し、緑豊かで閑静な現在の街並みは、この文教地区指定によって維持されている。
1965年(昭和40年)に、8000人規模の入居があった富士見台団地の完成に伴い、人口が5万人を突破。1967年(昭和42年)「国立市」として市制施行となった。
2019年1月現在、国立市の人口は7万6038人で、総世帯数は3万7728世帯である。同市の総面積は8.15平方キロメートルで、都内の市として狛江市に次いで小さい。
市の名称「くにたち」は、1926年に国分寺駅と立川駅の中間に箱根土地株式会社が新駅を建設するにあたり国分寺・立川の1字をとって名付けたことに由来する。「国立」は「こくりつ」と誤読されやすいのと、国立市立や国立音楽大学のように私立施設があたかも国立施設と誤解されやすいため、「くにたち図書館」のように仮名書きされる例が多い。ただ、「一ツ橋大学」は国立(こくりつ)大学法人である。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道