東京都足立区の特徴を知る
東京都「足立区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
いくつかの河川に囲まれる「農業」と水運から陸運へ進化した「物流」の街
東京・足立区は東京23区最北部に位置し、東は中川をはさんで葛飾区、西は隅田川をはさんで北区、荒川区、北は埼玉県川口市、草加市、八潮市、南は葛飾区、墨田区、荒川区に接する。かつて区域内の北千住は奥州街道、日光街道の宿場町であった面積は53.25平方キロメートル、大田区、世田谷区に次いで23区で3番目の広さだ。
東京都・足立区のマンション
2018年、東京都・足立区で販売された新築マンションは1325戸。販売価格は4024万円~4974万円。中古物件の相場は2100万円~5880万円だった。
2019年1月現在、足立区の人口は68万8512人。外国人の割合が高く、足立区内の外国人登録者は 3万1706人、新宿区、江戸川区に次いで3 番目だ。総世帯数は34万6739世帯だった。1970年以降も足立区の人口は緩やかに増加している。同区の2008年の調査発表によると、持ち家住宅率は47.2%で、一戸建ての9割は持ち家だという。
足立区域のあらまし
足立区域は、鎌倉時代のころから村落として成立し、室町時代になって千葉氏の所領となり、その後江戸幕府の支配下なったとされる。江戸時代には、千住が江戸四宿のひとつに数えられ、水運の便も手伝い人・物が行きかう街として栄えた。
明治になり東京府の所管に属し、1878年(明治11年)に47カ町村をもって南足立郡が設けられ、東京府に編入。1889年(明治22年)5月の市制町村制実施にあたり、町村の分合を行い1町8カ村(1891年に1町9カ村)となった。
昭和7年10月市域拡張により、もとの南足立郡(10カ町村)が足立区となった。その後境界変更などを経て、1947年(昭和22年)地方自治法の制定により、現在の足立区となった。
農業と物流が区内の産業を支える
同区域は全般に平らで、丘らしい高地はほとんどない。北西部はやや高く、南東部に行くに従って緩やかに傾斜しながら下っており、昔から足立区は農耕に適した土地とされてきた。
現在の主な生産物は、「花卉園芸(キク、チューリップなど)」「つまもの園芸(あさつき、めかぶ など)」「野菜栽培(コマツナ、ホウレンソウ、ネギ、ダイコン、キャベツ など)」といったところだ。
総農家数221は練馬、世田谷、江戸川に次ぎ第4位、専業農家数(販売農家)でも第4位である。ただ、概ね小規模な農家が多い。
東京23区の産業部門で足立区がトップに立つのは、運輸業の事業所数だ。その数2400拠点を数え、第2位の江戸川区の1900拠点を大きく引き離す。足立トラックターミナルを中心に、東京に出入りする物流の一大中継基地を形成しているのだ。
足立区には1993年に放送大学足立学習センターが出来る以前、大学はなかった。しかし、千住地区に大学誘致が進み、2006年に東京芸術大学、2007年に東京未来大学、2010年に帝京科学大学、2012年に東京電機大学が開校している。これら大学の開学は街の賑わいを生みだしただけではない。同区は5大学との連携を進め、教育や産業振興、治安再生事業などで大学の力を活かす取り組みを始めた。なかでも教育においては、幼稚園・保育園から高校まで、区内の子どもたちにとって「大学が身近にある」環境の意義は大きい。
「つくばエクスプレス」「日暮里・舎人ライナー」が再開発を促す
2005年の「つくばエクスプレス」開通以降、区内には新たに3つの駅が誕生し、その周辺では大規模な再開発が行なわれ、古い建物が消え、工場が移転し、巨大なショッピングモールやマンション建設などが活発化した。つくばエクスプレスが生み出す新たなベッドタウンの開発も急ピッチで進む。さらに,2008年には、都営日暮里・舎人ライナーも開業、荒川区の日暮里駅と足立区の見沼代親水公園駅を結び、新しく住宅地開発や大規模マンション建設ラッシュが進んでいる。
足立区には東武スカイツリーラインやつくばエクスプレス、地下鉄日比谷線、同千代田線など鉄道が8路線乗り入れる。
新交通システムが整備などで、今後大きな発展への期待が大きいのも事実だ。何と言っても、23区中第3位の広い面積と第5位の大きな人口を持っているため、足立区が飛躍するための条件はそろいつつある。
公開日:2019.12.25著:吉田 恒道