東京都狛江市の特徴を知る
東京都「狛江市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
事業所や工場が少ない、小さな住宅都市は「岸辺のアルバム」の舞台
東京都狛江市は、東京都下の多摩丘陵の東南端多摩川左岸に位置し、都心新宿から電車(小田急線)で南へ20分の位置にあり、東は世田谷区、西と北は調布市、南は多摩川をはさんで神奈川県川崎市に接している。
東京都・狛江市のマンション
2018年、東京都・狛江市で販売された新築マンションは167戸。同期の狛江市内中古マンション相場価格は2660万円~5460万円だった。
狛江市の2019年1月現在の人口は、8万2481人。総世帯数は4万2157世帯だ。
東京都のなかでもっとも小さな市域、ほぼ完全な住宅都市
狛江市の市域は、東西約2.94km、南北約3.66km、総面積は6.39平方キロメートル。東京都の市のなかでもっとも小さな面積の自治体で、全国でも蕨市に次いで2番目に小さな市域である。そのため人口密度は高く、都内の市では武蔵野市に次ぎ、全国でも蕨市、武蔵野市に次ぐ3番目となる。東京都内では稀な事業所やオフィス、工場が少ない、ほぼ完全な住宅都市といえる。
狛江市内の丘陵台地のあちこちで縄文式の土器や石器類が発掘され、なかでも古墳が市内の邸内や畑の中に多く残り、狛江古墳群を総称され、古墳時代から栄えていた地域だったとされる。これらの遺物や遺品等の多くは、日本歴史編成上の資料として役立っており、当時栄えていた狛江に住んでいたとされる国司(くにづかさ)国造(くにのみやつこ)の人々の古墳だとされている。
1871年(明治4年)の廃藩置県で、狛江市域は和泉、猪方、岩戸、駒井、覚東、小足立、大町の7カ村に分かれ品川県に所属したが、翌年に神奈川県の所轄となる。1880年(明治13年)、多摩郡が4郡となり狛江地区は北多摩郡に編入。1893年(明治26年)、東京府に編入。1927年(昭和2年)に小田急線が開通し、狛江駅・和泉多摩川駅が開業する。1970年(昭和45年)、市制施行する。
山田太一の小説「岸辺のアルバム」の舞台
1974年、多摩川の狛江側堤防が決壊し、19棟の住宅が流された多摩川水害をモチーフに描かれた山田太一の新聞連載小説「岸辺のアルバム」が当時話題になった。東京新聞、中日新聞、北海道新聞、西日本新聞のブロック4紙に連載され、1977年にTBSテレビでドラマ化され高い評価を得た。出演者は津川雅彦、八千草薫、竹脇無我、中田喜子、国広富之など。オープニングテーマソングはジャニス・イアンの「ウィル・ユー・ダンス」だった。ドラマの最終章で、水害によって家が流されるシーンは、実際の報道映像が使用されていた。
狛江市は、はがきに水彩画を描き一筆添える形式の季節の手紙「絵手紙」発祥の地とされている。日本絵手紙協会の代表・小池邦夫氏が狛江市在住で、同市で最初の絵手紙の教室が開催され、現在も存続している。2月3日を「絵手紙の日」としており、狛江郵便局では、協賛するイベントを毎年実施している。
2005年に狛江郵便局が実施した「絵手紙発祥の地~狛江・絵手紙発祥23周年記念キャンペーン」では、全国から募集した約1600枚の絵手紙が、商工会の手を経て市内約1000カ所の店舗や事務所に配布された。この動きを受け、2007年には狛江市が、市の事業と位置づけ、市民による「絵手紙発祥の地~狛江」実行委員会が設立された。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道