東京都荒川区の特徴を知る
東京都「荒川区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
小さな特別区は、地味に思えるが“住みやすさナンバーワン”の街
荒川区は東京23区の東北部に位置しており、総面積は10.16平方キロメートル。東京23区でいちばん小さな特別区の台東区に次ぐ22番目の広さとなる。また、この面積は、いちばん広い面積を誇る大田区の6分の1だ。同区は東西に長く、隅田川が区の北東部を迂回して流れ、南千住、荒川、町屋、東尾久、西尾久、東日暮里、西日暮里の各地区に分けられる。
東京都・荒川区のマンション
2018年、東京都・荒川区で販売された新築マンションは270戸だった。販売価格は4965万円~7319万円。中古物件の相場は2870万円~7490万円である。
荒川区の人口は、2019年1月現在、21万5966人、11万5944世帯だった。そのうち1万9131人は外国人居住者だ。1960年(昭和35年)の国勢調査によると28万5000人をピークに減少し始めた。が、1970年代後半からは減少傾向が鈍化し、2000年以降はふたたび増加に転じた。
この20年間で60歳代以上は増加し、20歳代以下は減少。人口総数に占める割合も、65歳以上の人口22.7%(20年前16.0%)、15歳未満の人口11.4%(20年前12.2%)となっており、少子高齢化が進行している。
古くからの下町情緒を残し、抜群の住みやすさを内包する
古代、縄文・弥生時代には、荒川区の地域の大部分は、東京湾で日暮里の台地だけが岬だった。江戸時代には、水戸道中と奥州・日光街道中の分岐点としてにぎわいをみせていた。区内には数多くの史跡や文化財などが残る。
明治時代、荒川の水が大量に利用できるため、日本で初めての官営羊毛工場などの大工場が相次いで設立され工業地帯ができた。1913 年(大正2年)には王電(現在の都電荒川線)が開通し、宅地化が進む。
現在の荒川区は、古くからの歴史や下町風情を随所に残しつつ、また各地域の新しい街づくりも進み、新しさと懐かしさが交錯した街である。
荒川区には、一般的に、これといった特徴があるエリアではないとされている。が、毎年日経BP社が実施する「全国自治体ランキング」で荒川区は、行政サービス部門においてトップクラスにランクされることが多い優良行政区だ。なかでも2008年度に、情報化分野および教育分野、IT施策の充実度を比較した「e都市ランキング」で、全国1位の栄冠に輝いた。また同年、「子育て環境分野」でも全国2位となった。2015年度も「共働き子育てしやすい街ランキング」で全国1位となっている。また、転出者が少ないのも同区の大きな特徴だ。
地味なようにみえて“住んでみると住みやすく心地よい”のが荒川区の身上といえそうだ。
大規模開発の最新の街、歴史と伝統が息づく街
荒川区は、大規模開発による街づくりが進むエリアがある一方、歴史と文化の香りが残るエリアもある街だ。
日暮里地区は区内で最も古い歴史を持つ地域で、JR山手線沿いの高台や斜面には縄文・弥生時代の遺跡があり、江戸時代中期頃より「ひぐらしの里」と呼ばれてきた。風流を好む江戸の文人墨客が集まったことでも知られ、多くの文学碑が残されている。ある意味で、史跡文化財の宝庫なのだ。
南千住地区は、江戸から日光に通じる日光道の最初の宿場として栄えた地域。徳川家康が架けた千住大橋、松尾芭蕉の句碑をはじめとする、当時活躍した文人の碑、大名屋敷跡、吉田松陰や橋本左内などが眠る回向院(小塚原刑場跡)など江戸時代の史跡が数多く残る。
再開発が進み荒川区の“新しい顔”が生まれる
南千住は、再開発によって生まれ変わった近代的景観をもつエリアと、伝統的な趣を残したエリアだ。多彩なショッピングモールや「健康」がテーマの複合施設を擁する南千住駅東側地区や白鬚西地区は、新しい南千住の「顔」とも言える街といえる。
荒川区で隅田川に密接する白鬚西地区の再開発事業は、街路や河川(約1キロメートルのスーパー堤防)の整備をはじめ、病院や消防施設、教育施設、さらには公園整備などをともなう大規模再開発だ。
南千住駅西口では、「つくばエクスプレス」が開業し、再開発ビルの建設および西口駅前広場の整備が完成し駅前に新たな顔が誕生した。そのさらに西側には伝統的な町並みや商店街もしっかり残っている。
また、日暮里駅前地区では、ひぐらしの里地区の市街地再開発事業が進む。2005年に全3地区のうち西地区が完成し、中央地区が2008年3月に完成。翌2009年に北地区が完成した。地区の低層部は、商業施設などで構成され、高層部は都市型住宅となっている。3本の再開発高層ビルが日暮里駅前の新しい象徴となった。
区内にはJR(山手線・京浜東北線・常磐線)、つくばエクスプレス、京成線、東京メトロ(千代田線・日比谷線)、区民 の身近な足として利用されている都電荒川線 をはじめ、 2008年3月に新交通「日暮里・舎人ライナー」が開通。日暮里駅から舎人地区までのアクセスが向上した。2010年には「成田スカイアクセス」が開通。もともと都心へのアクセスが良い日暮里地区の交通利便性は、さらにアップした。
公開日:2019.12.25著:吉田 恒道