東京都立川市の特徴を知る
東京都「立川市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
かつての米軍基地の街は、新宿以西最大の商業圏を形成する防災住宅都市
立川市は、東京都のほぼ中央の西よりに位置しており、多摩地域の中心部分にあって、昭島市、小平市、日野市、国分寺市、国立市、福生市、東大和市、武蔵村山市と接し、地形は平坦だ。
市域の南側には多摩川が東西に流れ、北側では玉川上水の清流が流れる。
東京都・立川市のマンション
2018年、東京都・立川市で販売された新築マンションは50戸。同市で販売した新築マンション相場価格は3882万円~5936万円だった。同市内の中古マンション相場価格は1820万円~7980万円。
立川市の2019年1月現在の人口は、18万3822人で、そのうち外国人は4374人。総世帯数は9万1270世帯だ。立川市の総面積は24.36平方キロメートルである。
立川市の中央には、東京都の東西を結ぶJR中央線が走り、東京駅から立川駅までの距離は37.5km。JR中央線特別快速電車で40分、新宿まで25分の行程だ。また、立川駅には中央線のほかにJR青梅線、JR南武線、JR五日市線が乗り入れ、多摩モノレールが多摩センター駅から立川南・立川北駅を経由して上北台駅に伸び、立川駅は多摩地域の交通の要衝となっている。
立川駅周辺は、それら路線の利用客が集まる大規模な商業エリアだ。JR立川駅の周辺は歩行者専用のペデストリアンデッキが整備され、伊勢丹や高島屋のほか大型スーパーなどが数多くあり、新宿以西最大の商圏を形成し、多摩武蔵野エリアにおける商業の中心となっている。
立川広域防災基地を有す防災都市
現在、市域の中央部分、旧立川基地跡に国営昭和記念公園や広域防災基地などがあり、東京地方裁判所や総務省自治大学など国や都の各機関、医療機関、報道機関も多く集まっている。内閣総理大臣を本部長とする緊急災害対策本部が設置可能な立川広域防災基地を有す防災都市でもある。
また、市域の北部は都市農業や武蔵野の雑木林など緑豊かな地域を形成している。
立川市域は江戸時代まで、甲州街道と五日市街道が通る村落に過ぎなかった。が、明治時代に入り、板谷元右衛門の大規模な土地の寄付による誘致運動によって、1889年に甲武鉄道が新宿~立川間で開業し、これ以降、立川市域南部の立川駅がターミナル駅となった。
1881年(明治14年)、柴崎村から立川村へと改変。前述のように1889年(明治22年)に甲武鉄道(現在のJR中央線)が開通し、1922年(大正11年)に立川飛行場が開設されたことによって商業・工業の集積が進んだ。1940年(昭和15年12月、市制施行。戦後は立川飛行場が米軍に接収され「米軍基地の街」として歩んだ。
米軍基地の街から大きく脱皮を図る
戦後、立川を一躍有名にしたのは「砂川闘争」と「砂川事件」だ。1955年、米軍立川基地の拡張計画が明らかになり、当時の砂川町(現在の立川市北部)の住民が反対同盟を結成。各労働組合も連合して運動を支援した。拡張予定地の測量をめぐり警官隊と反対派住民がたびたび衝突し、1956年10月には1195人の負傷者が出る事件も起きた。
結果として予定地権者のうち23人が最後まで買収を拒否。米軍は1968年に、国も1969年に計画中止を決めた。1977年(昭和52年)に米軍基地は返還され、前述した「昭和記念公園」や「ファーレ立川」、東京地方裁判所および東京家庭裁判所などが入居する「裁判所庁舎」などになった。
JR立川駅を生活圏とする住環境ならスーパーやドラッグストアの日用品から、伊勢丹・高島屋で取り扱う高級品の購入まで、ほとんど徒歩で商業施設に行けるのが魅力だ。ただし同じ市内でも北西部は生活圏が変わる。ある意味、田舎の光景が広がるので、静かな暮らしを望む人に向いた住宅地だ。が、都市の利便性を享受したい人には不向きかもしれない。ただし、モノレール沿線には
大規模ショッピングモールやIKEA立川などがオープン。北西部でも現在、西武立川駅前を大規模開発していて、戸建てやマンション、スーパーなどの建設が進んでいる。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道