東京都西東京市の特徴を知る
東京都「西東京市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
2001年、田無市・保谷市の合併によって誕生した東京でもっとも新しい市
西東京市は、武蔵野台地のほぼ中央に位置し、北は埼玉県新座市、南は東京都武蔵野市および小金井市、東は練馬区、西は小平市および東久留米市に接している。東西4.8km、南北5.6km。旧田無市の面積は 6.80平方キロメートル、旧保谷市の面積は9.05平方キロメートルで、それぞれ全国で4番目、10番目に小さな市だった。現在、同市の面積は15.85平方キロメートルである。
東京都・西東京市のマンション
2018年、東京都・西東京市で販売された新築マンションは142戸。新築マンション相場価格は3914万円~4851万円だった。なお、同市内の中古マンション相場価格は2520万円~5390万円だった。
西東京市の2019年1月現在の人口は、20万2817人。総世帯数は9万7350世帯だ。西東京市の人口が2017年3月末で20万人を突破し、4月1日現在で20万98人に達している。
田無市、保谷市の合併によって西東京市が誕生した2001年1月21日時点の人口は17万9699人だった。その後、ほぼ右肩上がりの人口増が続き、約16年で2万人を超える増加となったわけだ。多摩地区の自治体人口ランキングで同市は、八王子、町田、府中、調布市に続く5位である。
青梅街道の宿として江戸期から栄えるベッドタウン
同市中央で青梅街道と所沢街道が交差する交通の要所で、かつ青梅街道の宿場町として江戸時代から栄えた。昭和初期、旧田無市に大日本時計(シチズン時計)、中島航空金属、豊和工業(石川島播磨重工業)などの工場が設立。太平洋戦争後に一部工場は閉鎖されたが、跡地に集合住宅などが建設され東京のベッドタウンとして発展した。
西東京市は、2001年(平成13年)に保谷市と田無市が合併して誕生した新しい自治区だ。新市名の選考にあたっては、公募によって集まった名称から「西東京市」「けやき野市」「北多摩市」「ひばり市」「みどり野市」の5つに絞り込まれた。これを受けて実施された市民意向調査によって最も多くの支持を集めた「西東京市」が、合併協議会によって新市名と決定された。
旧くから検討されてきた市域合併課題
田無市と保谷市の合併問題は、古くは明治時代から論議され、その記録が残っているという。旧保谷市は旧田無市の北、東、南を囲むような形をしており、特に南部が細長い市形となっていたため、行政効率などの点で田無市との合併が古くから考えられていた。また、ひばりヶ丘団地が2市のほかに東久留米市にまたがっているため、3市による合併も検討されたこともあった。
1953年(昭和28年)の町村合併促進法の制定により幾度となく議論を重ね、1965年(昭和40年)には法定の合併協議会の設置にまで至ったが、1967年(昭和42年)にそれぞれ単独で市制を施行した。
その後、平成に入り両市議会に合併に関する特別委員会が設置され、本格的な議論が開始され合併に至った。
その合併効果には、一部疑問符も……
合併により地方交付税全体で、普通交付税額の算定の特例と普通交付税の合併補正、特別交付税における合併関係増加額をあわせ、2001年度に比較して10 年間で約199億2800万円の増加となった。
同時に「合併は大幅な市財政削減改革」と目論んでいたが、市職員人件費など削減額は6億円ほど未達で、なかでも特別職報酬については、2007年に「報酬審議会」で他市との比較を理由に10パーセント引き上げが答申され、「市長および議員報酬増額、市民へ増税」と非難されたが、答申通りに改定され、これによって24億円あまりの増加となった。また事務経費などについても10年間で10億円ほど削減できると見込んでいたが、17億円以上の増加となっている。
市内の鉄道は、西武新宿線の「東伏見駅」「西武柳沢駅」「田無駅」、西武池袋線「保谷駅」「ひばりケ丘駅」。同市では市の中心を「田無駅前」としている。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道