埼玉県熊谷市の特徴を知る
埼玉県「熊谷市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
旧くは中山道の宿場「熊谷宿」、農業、商業、工業がバランスした産業都市
埼玉県熊谷市は、東京都心から50~70km圏に位置し、ほぼ平坦で荒川や利根川の水に恵まれた肥沃な大地と豊かな自然環境に恵まれた地域だ。その区域は南北に約20km、東西に約14kmで、面積は159.82平方キロメートルだ。また、可住地面積は県内第2位だ。
2005年に熊谷市、大里町、妻沼町が合併し新「熊谷市」が誕生し、2007年に江南町を編入した。
埼玉県・熊谷市のマンション
2018年、埼玉県・熊谷市の中古マンション相場価格は1610万円~2730万円だった。
2019年1月現在、埼玉県熊谷市の人口は、発表によると19万7731人。総世帯数は8万6455世帯だ。2009年に特例市に移行した。
熊谷市域での人々が生活し始めたのは、遺跡から発掘された旧石器時代の石器が出土していることから、およそ2万2千年前とされる。奈良・平安時代になると、西別府や柴に古代の寺院が建てられている。中世から豊かな穀倉地帯だった熊谷は、熊谷次郎直実や斎藤別当実盛など多くの武蔵武士の根拠地となった。
江戸時代には、熊谷宿は中山道の宿場として、また、明治初期には熊谷県の県庁所在地となり発展する。
農業、商業、工業の各分野の産業振興が奏功した産業都市
同市の主要な交通網として、国道17号・17号バイパスが東西に、南北に407号が走り、この他140号、125号も市中心部で分岐する。中山道の宿場から発展した熊谷は、現在も交通の要衝だ。
JR熊谷駅から東京駅まで上越・北陸新幹線で約40分、在来線で上野駅や新宿駅まで約60分の距離感。また、熊谷駅には秩父方面や羽生方面からの秩父鉄道も乗り入れる。
現在、熊谷市の産業は、地域経済分析システムの「農林業センサス」によると農産物販売額は県内第5位、「経済センサス」を見ると年間商品販売額は県内第5位、工業統計調査によると製造品出荷額等は県内第3位と、埼玉県内で有数の綜合産業都市ということが分かる。肥沃な土地と広域交通網の要衝としての産業立地優位性を活かし、農業、商業、工業の各分野において活力ある産業振興が図られてきた。埼玉県北部における経済上の一大拠点となっている。
熊谷駅北口においては、駅ビル「アズ熊谷」「ティラ21」「ニットーモール」の3館がペデストリアンデッキで結ばれ、熊谷駅直結の一大ショッピングセンターとして機能している。このうちニットーモールは、2002年までの間ダイエーがキーテナントとして出店していた。
一方で、ロードサイド型店舗も数多い。国道17号と国道407号の交差点付近に、古くから市民に親しまれる八木橋百貨店とイオンが核店舗となる熊谷片倉フィラチャーなどがある。また、同じエリアに西友やトイザらスが出店するビッグベアが、旧熊谷市と妻沼町との境界付近にカスミやコメリを核店舗とするイール妻沼がある。
市内には20店舗余りのスーパーマーケットが存在する。なかでもベルク、カスミ、いなげやなどのイオン傘下の店舗が出店する。市内において最も多い店舗を展開するのは秩父市で創業し、現在鶴ヶ島市に本社を置く食品スーパーのベルクで、熊谷市内に8店舗を出店する。
水道水がおいしい都市「32」のうちのひとつの街
熊谷市の水道水は、他の同規模の都市と比較して味が良いことで知られる。厚生労働省の「おいしい水研究会」が行なった調査によると、熊谷市は国内において水道水がおいしい都市「32」のうちのひとつに数えられている。これは、市内に供給されている水道水の約7割が市内の井戸より汲み上げられた地下水であるために塩素化合物による消毒が軽度で済むこと、地下水がミネラル分を多く含み、比較的硬水に近いことなどが理由として挙げられる。なお、市の水道庁舎(東部浄水場)では、地下水の原水「蓮生の泉」を試飲することができる。
熊谷は日本女医第一号の医者、荻野吟子氏を輩出した街でもある。荻野氏は1851年(嘉永4年)に現在の熊谷市妻沼(当時、武蔵国幡羅郡俵瀬村)に誕生し、35歳の時(1885年)、医術開業試験に合格し女医第一号となり、本郷湯島に開業しました。医療の分野だけでなく、宗教や女性活動でも活動し、1913年(大正2年)6月23日に生涯を終えた。
市内利根川の堤防下に、荻野吟子女史の生家である長屋門を模した漆喰一部下見板の和風建築の建物「荻野吟子記念館」があり、荻野吟子女史の生涯を紹介した年表や関係資料などを展示している。記念館に隣接した「荻野吟子生誕之地記念公園」には、記念碑や荻野吟子女史の銅像があり、3月初旬には河津桜「吟子さくら」を楽しむことができる。記念公園裏手の利根川土手からはグライダー滑空場や葛和田の渡し「赤岩渡船場」を見ることもできる。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道