埼玉県本庄市の特徴を知る
埼玉県「本庄市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
中山道の宿場町として賑わった本庄は、首都圏近郊の住宅工業都市
埼玉県本庄市は、東京から80km圏、県西北部に位置する総面積89.69平方キロメートル、人口約8万人の都市だ。東は深谷市、西は上里町・神川町、南は美里町・長瀞町・皆野町、北は利根川をはさんで群馬県伊勢崎市に接する。
地形はおおむね平坦で安定した地盤のエリアだが、長瀞町などとの境界に近い南西部は、陣見山などの 標高500m級の山々が連なる山間地となっている。自然災害は少なく、気候は夏に雨量が多く、冬に少ない東日本型気候であり、水と緑豊かな自然環境に恵まれた地域だ。
埼玉県・本庄市のマンション
2018年、埼玉県・本庄市の中古マンション相場価格は1820万円~2030万円だった。
2019年1月現在、埼玉県本庄市の人口は、同市の発表によると7万8297人。そのうち外国人は2219人。総世帯数は3万4140世帯だ。
本庄市域は、かつて県内有数の大規模な原始・古代遺跡の分布地域で、奈良時代前後には児玉郡が設置され、後には児玉庄(荘園)が立地していた。
その後、児玉庄氏から庄氏を経て、やがて宗家(本家)は本庄氏を名乗るようになったとされる。
江戸時代になると中山道が整備され、「本庄宿」が建設される。1843年(天保14年)に、人口4554人、1212軒を数える中山道最大規模の宿場町に発展した。そして、明治の近代化とともに、養蚕の街・本庄として発展する。
明治の市町村制施行以後、合併を繰り返して新「本庄市」誕生
1889年(明治22年町)の全国的な町村制の施行により本庄地区は、「児玉郡本庄町」となる。児玉地区でも2町が合併し、「児玉郡児玉町」が誕生した。
1954年(昭和29年)7月、本庄町と周辺4カ村は昭和の大合併で「本庄市」となり、さらに、翌1955年(昭和30年)3月に、児玉町と周辺3カ村が合併し「児玉郡児玉町」となった。
全国で平成の大合併が進められるなか、旧本庄市と旧児玉郡児玉町も2006年(平成18年)1月に合併し、新「本庄市」が誕生した。
首都圏の近郊農業地域、近代工業都市
現在、市内の鉄道は、JR高崎線、八高線、上越新幹線が通っている。2004年(平成16年)3月、上越新幹線本庄早稲田駅が開業、東京駅からの所要時間は約50分に短縮された。JR高崎線を利用すると上野駅~本庄駅間・特急&快速で約70分の距離感である。
道路交通網も充実しており、関越自動車道本庄児玉インターチェンジや国道17号・254号・462号などの主要道が縦横に走り、東京と上信越方面を結ぶ交通の要衝となっている。
本庄市は、首都圏近郊都市として発展し、児玉工業団地・いまい台産業団地などが造成され、近代工業都市としての顔をもった街だ。
市街地にはホテル、マンション、オフィスビルなどが建ち、大手スーパーなど大型店も進出するなど、児玉郡市の商工業の中心となっている。
さらに、農業では肥沃な農地に恵まれ、ネギ、キュウリ、ナス、タマネギ、ほうれん草、大和芋、レタスなどの野菜や、ぶどう、いちごなどの果樹栽培も盛んで、首都圏などに出荷する近郊農業地帯でもある。
旧本庄市と旧児玉町の合併で誕生した新「本庄市」は、上越新幹線本庄早稲田駅を中心とする本庄新都心土地区画整理事業や早稲田リサーチパーク地区整備と連携し、埼玉県の北の玄関口・本庄として、発展が期待されている。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道