神奈川県秦野市の特徴を知る
神奈川県「秦野市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
かつての煙草の大産地「はだの」、圏内唯一の盆地にある工業・観光都市
神奈川県秦野市は、神奈川県央の西部に位置し、東部は伊勢原市、西部は松田町、大井町、南部は中井町、平塚市、北部は厚木市、清川村、山北町に接している。市域は、東西約13.6km、南北は約12.8km、面積は103.76平方キロメートルで、県内19市中5番目の広さを持つ都市だ。
東京からは約60km、横浜から約37kmの距離にあり、北方には神奈川県の屋根と呼ばれている丹沢山塊が連なり、南方には渋沢丘陵が東西に走り、県下で唯一の典型的な盆地の街だ。
神奈川県・秦野市のマンション
2018年、神奈川県・秦野市で販売された新築マンションの相場価格は4293万円~4495万円。同市内の中古マンション相場価格は1540万円~2870万円だった。
神奈川県秦野市の2019年1月現在の人口は、16万1628人。総世帯数は7万2500世帯である。
秦野市の正しい読み方は「はだのし」としている
秦野市は、1955年(昭和30年)1月、秦野町(はだのまち)、南秦野町(みなみはだのまち)、東秦野村(ひがしはだのむら)、北秦野村(きたはだのむら)の2町2村が合併して市制施行した自治体だ。
この時の総理府の告示(昭和29年12月10日)でも「はだの」とルビがふられ、正式な呼び名となっている。
明治22年の「市制・町村制」による合併時も秦野町や東西南北秦野村は「はだの」と表記されている。江戸時代の文献「新編相模国風土記稿」には、秦野盆地一帯を「波多野庄」と呼び「葉駄廼(ハダノ)」と読み方が記載されている。駄はダと読むとされていて、この時代にも、「はだの」と呼ばれていたと考えられる。また古くは1625年(寛永2年)の『東鑑(あづまかがみ)』や1803年(享和3年)の『香雲寺文書』に書かれた「波多野」に「ハダノ」という振り仮名がつけられている。このように秦野地方は古い時代から「はだの」と呼ばれていたことが分かる。
小田急線利用で都心への至便なアクセス、背後に丹沢山系を抱える街
神奈川県西部に位置する秦野市は、東京都心から比較的近く、クルマで1時間程度。南側を東名高速道路が横断し、中井町との境界付近には「秦野中井インターチェンジ」がある。さらに国道246号も市内を横断しており、市内、市外だけでなく、横浜市へアクセスするよりも東京・新宿へのアクセスのほうが便利だ。
国道246号に沿う格好で小田急線が走り、市内には「秦野駅」、「渋沢駅」、「東海大学前駅」、「鶴巻温泉駅」の4駅がある。新宿から秦野駅までは急行で約1時間の距離感だ。
秦野市北部には“神奈川の屋根”といわれる丹沢表尾根があり、1年を通じて登山客が訪れる。なかでも5月~6月のツツジの季節や、10月~11月の紅葉の頃には多くの人が登山に訪れる。おもな登山口として、大倉尾根の起点である大倉、そして表尾根縦走の起点となるヤビツ峠などが有名だ。
南東部には鶴巻温泉地区があり、日帰り温泉施設や旅館があり、下山後にひと汗流す登山客の憩いのスポットとなっている観光都市でもある。
江戸時代から秦野地方の経済はタバコ栽培を中心として成長、秦野盆地は相模煙草の山地として全国的に知られていた。昭和初期にタバコ産業の工業化が開始されて以来、秦野盆地における煙草栽培は急速に衰退し、1984年に栽培は終了した。同時に日本専売公社秦野工場も閉鎖。その跡地にはジャスコ(イオン)をキーテナントとしたショッピングセンターがオープンした。
煙草産業から撤退した同市は、戦後一貫して市の中心部に工場の誘致を進め、日立製作所、島津製作所、スタンレー電気、東芝などの大工場がある。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道