神奈川県横浜市神奈川区の特徴を知る
神奈川県「横浜市神奈川区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
「臨海部」「内陸部」「丘陵部」、それぞれ異なる顔をもった行政区「かながわ」
横浜市神奈川区は、東部が埋立地、西部には丘陵地が広がり、その間に丘と平地が点在するという起伏に富んだ地形となっており、こうした地形的な特徴や街の成り立ちなどから、大きく「臨海部」「内陸部」「丘陵部」の3つの地域に分かれ、それぞれに多様な姿をみせる。
「内陸部」では、起伏のある地形に住宅地が広がる。「丘陵部」では、緑地や専用農地が多く残り、キャベツなどの栽培が盛んに行なわれている。
神奈川県・横浜市神奈川区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市神奈川区で販売された新築マンションは654戸。同区で販売した新築マンション相場価格は4730万円~6619万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2170万円~8330万円。
横浜市神奈川区の2019年1月現在の人口は、23万8559人。総世帯数は12万4548世帯。総面積は23.59平方キロメートル。
これまで、臨海部を中心にマンション建設が進み、人口が増加する傾向にあったが、2012年(平成24年)に人口が減少に転じた。神奈川区では若い世代の転出入が多く、生産年齢人口(15~64歳)の割合が市平均と比べて高い傾向にあるものの、65歳以上の人口比率は年々高まっており、高齢化率が30%を超える地域もあるなど、今後、高齢化の進展が予想されている。
また近年、再開発の進展や都心回帰の影響を受け、臨海部を中心に集合住宅の建設などが進んでいることにより、臨海部の人口は増加する傾向にある。
江戸期より交通の要衝として発展、明治以降に工業化する
「神奈川」の名由来には諸説ある。現在、過去によく知られている説は、いずれも民間語源説。その代表例は、昔、神奈川宿の西の町と仲の町の間に小川があった。その川の水源が何処なのか解らないので、上(かみ)がない川、上無川(かみなしがわ)と呼ばれていた。いつからか、文字が脱落して「かな川」と呼ぶようになった説だ。江戸期の文人たちが、江戸の品川を下無川、神奈川を上無川として詠んだとされることからも分かる。
また、さまざま古文書に、「神奈河・神名川・上無川・狩野川・かの川・かな川」などと記されており、これらが変化して「神奈川」になったと言われる説もある。
横浜市神奈川区は、1927年(昭和2年)の横浜市区制施行により横浜5区のひとつとして誕生した。2017年、区制90周年を迎えた。鎌倉時代から神奈川湊として賑わい、江戸時代には東海道の宿場町「神奈川宿」として栄え、古くから交通の要衝として発展した。幕末には開国の舞台となり、寺院などに各国の領事館や公使館がおかれた。
明治時代後半から海浜の埋立てが始まり、埋立地に多くの工場や事業所が進出、京浜工業地帯の一角として発展した。関東大震災や第2次世界大戦中の横浜大空襲などで沿岸の市街地を中心に大きな被害を受けた。戦後は、内陸部を中心に、商店街の復興や住宅地の開発が進み、現在のような街並みが形成された。
横浜都心臨海部と新横浜都心の一角を形成する
神奈川区は、横浜市の都心臨海部と新横浜都心の一角を占めており、多くの鉄道駅が存在し、都心へのアクセスも良好だ。現在、JR線、京浜急行線、東急東横線、市営地下鉄ブルーラインの14の駅があり、さらに、相鉄線西谷駅から羽沢駅(仮称)を通り、新宿方面、渋谷方面へ接続する神奈川東部方面線事業が進められている。
「臨海部」では、埋立地などに工場や事業所などが多く立地し、大野町・金港町・栄町はヨコハマポートサイド地区として再開発が行なわれ、オフィスビルや高層マンションが多く建ち並ぶ地区となった。神奈川区でいちばん高いビル「ザ・ヨコハマ・タワーズ」が建つ。2006年には金港町に大型商業施設「横浜ベイクォーター」が完成。また、2007年には「ナビューレ横浜 タワーレジデンス」「パークタワー横浜ステーションプレミア」、2008年には「パークタワー横浜ポートサイド」など建物が建った。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道