神奈川県横浜市磯子区の特徴を知る
神奈川県「横浜市磯子区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
根岸湾埋立で工業地帯誕生。同時に後背地に最新都市基盤の住宅地誕生
横浜市・磯子区は横浜市の東南に位置する南北に細長い形をした区。根岸湾に面した海岸部分の平地とそれを囲む丘陵地からなり、その境には斜面緑地が点在している。また、同区南部の峰・氷取沢には市内でも有数の大規模な緑地が広がる。同区の総面積は、19.02平方キロメートルである。
神奈川県・横浜市磯子区のマンション
2018年、神奈川県・横浜市磯子区で販売された新築マンションは589戸、相場価格は4165万円だった。同区内の中古マンション相場価格は2170万円~4760万円だ。
2019年1月現在、磯子区の人口は、16万8189人。総世帯数は8万1104世帯だ。1991年をピークに、同区の人口はゆるやかな減少傾向にある。
なお、同区の特徴的な人口構成は、60%超の区民が横浜市生まれの人、で占められている。
現在の磯子区は、明治時代以前は徳川家の直轄領だったが、当時は交通の便が悪く、商業よりも農業と漁業をしている住民が大半だった。
横浜市が区制を施行した1927年(昭和2年)10月1日に、磯子区は人口3万人で誕生した。同時に、鶴見区、神奈川区、中区、 保土ケ谷区が発足し、市内5区となった。
同区発足時の町制は、滝頭町、磯子町、岡村町、森町、中原町、杉田町、矢部野町、田中町、栗木町、上中里町、峰町、氷取沢町、西根岸町、丸山町の14カ町だった。2017年10月、同区は区制90周年を迎えた。
湘南電気鉄道(現・京急)の開通、空港の開設で急速に発展
1930年(昭和5年)、湘南電気鉄道(現:京浜急行)が開通、森駅(現在の屏風浦駅)が開業した。
1940年(昭和15年)、根岸の埋立地(現在の鳳町の一部)に日航の飛行場が完成。国際空港にふさわしい近代的なターミナルビル、全長26m、主翼の長さ40mの大型飛行艇が12機納まる大格納庫などが建ち並び、日航横浜支所が置かれた。しかし、戦争との結びつきは避けられず、やがて日航は会社ごと海軍に徴用された。
戦後、1948年(昭和23年)に金沢区が分区。
根岸線延伸で磯子駅誕生、周辺に近代的マンション群誕生
1960年頃から根岸湾の埋立てが行なわれ、石油精製、化学、電機などの大規模工場や火力発電所が集中的に建設された重化学工業地帯が誕生。根岸湾臨海工業地帯の中核となった。その際に完全人車分離型の道路整備を含めて同時に計画的に整備されたのが、後背地である現在の汐見台住宅地だ。当初からガスや電気などのライフラインを歩道地下埋設とし、下水道完備、保存緑地などが整備され、1960年代当時として、最新構造の都市基盤をもった住宅街が誕生した。
1964年に国鉄(現JR)根岸線が桜木町から磯子まで延伸に伴い丘陵部の開発が進み、磯子駅周辺のマンション建設が進み、昭和60年代まで人口が急増した。
現在、同区はJR根岸線のほか京浜急行が通り、道路交通網では首都高速湾岸線、国道16号、横浜市道環状2号、同環状3号などがあり、都市基盤完成度では横浜市内屈指といえる。
ただ、新規分譲住宅地が少ない為、同区内の大規模な住宅地開発は、1970年の根岸線・磯子~洋光台間開通にともなう洋光台団地の建設が最後となっている。以前の人口急増は過去のものとなり、古くからの住宅地では高齢化も進んでいる。
2013年に横浜市が策定したマスタープランによると、今後の20年間で人口が約2万人減少するものと見込まれており、高齢化率も上昇すると予測されている。
こうして同区は、古くからの町並みと高度経済成長期に開発された新興住宅地、そして臨海部の工業地帯と緑豊かな丘陵地・斜面緑地といった多様性を持つ区になった。2017年(平成29年)10月1日に区制90周年を迎えた。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道