大阪府大阪市西淀川区の特徴を知る
大阪府「大阪市西淀川区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
戦前、大阪を代表する重工業地帯は、アクセスの良さから住宅都市に
大阪市の北西部に位置する西淀川区域は淀川が運ぶ土砂が堆積してできた扇状地であり、古代は難波八十島とも呼ばれ、多くの島に分かれていた。御幣島、姫島などの地名は、この地が島だったことの名残だ。
大阪府・大阪市西淀川区のマンション
2018年に大阪府・大阪市西淀川区で新築されたマンションは231戸で相場価格は不明。中古マンション相場価格は2100万円~3220万円である。
2019年1月現在、西淀川区の人口は、9万7510人で、総世帯数は4万9146世帯。同区総面積は14.22平方キロメートルだ。同区の人口は1970年代に減少傾向をみせた。が、1990年代以降、1995年の「阪神淡路大震災」で一度減少したものの、大工場などの移転に伴う再開発などでマンション建設などが進み、一貫して増加傾向に転じている。
1925年の大阪市第2次市域拡張で誕生した行政区
同区域は古代、現区域付近一帯は住吉大社の領地だったといわれる。
江戸以降に活発な新田開発が行なわれ、それまでの産業は漁業中心だったが、開発された新田で農業も盛んとなる。
同区は1925年(大正14年)の大阪市第2次市域拡張により、西成郡鷺洲町・千船町・稗島町・伝法町・歌島村・福村・川北村が大阪市に編入され、西淀川区が新設、発足となった。区名については、当初の案では「下淀区」、次いで「姫島区」が答申されたが、最終的には西淀川区に決定した。
1943年(昭和18年)、大阪市の22区への分増区および行政区境界見直しが大阪全市で実施され、淀川以南の区域、および淀川以北の東海道本線以東の区域を他区に分離されて現行の区域となった。2016年、西淀川区は区制90周年を迎え、さまざまな記念事業やイベントが開催された。
昭和期に入り大阪市内でも有数の重工業地帯として発展
昭和以降、水運の発達や鉄道・道路・橋梁などの急速な整備に伴い、紡績・機械・金属・鉄鋼・化学といった近代的な工場が集中し、大阪市内でも有数の重工業地帯として発展してきた。が、1950年代からその工場群がもたらす公害が深刻な問題となった。また、大野川・中島大水道も公害の影響で河川汚濁が激しかった。その後、市民生活の環境改善を図るため、緑あふれる緑陰道路として再生され、広く区民の憩いの場・健康づくりの場として活用されている。
区内に本社を置く有名な企業として江崎グリコ、三菱ふそうトラック・バスがあるほか、同区が発祥の地とする有名企業に、オムロンや東洋シャッター、日本製薬などがある。
近年は不況により撤退・廃業した工場の広大な跡地が増えたため梅田へのクセスの良さからマンション建設が進み住宅地としての整備も進んでいる。西側の中島には中島工業団地がある。
鉄道交通網として、阪神本線・西大阪線、JR神戸線が整備され、1997年(平成9年)、区民の永年の念願であったJR東西線が整備された。また、阪神西大阪線は難波まで乗り入れ、阪神なんば線として2009年(平成21年)3月に開通した。
公開日:2019.12.26著:吉田 恒道