大阪府大阪市淀川区の特徴を知る
大阪府「大阪市淀川区」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
東海道新幹線「新大阪駅」の開業で静かな農村が激変、副都心誕生
大阪市淀川区は、大阪市内北部を流れる淀川の北岸に位置し、東は東淀川区、西は西淀川区、南は北区、北は吹田、豊中、尼崎の3市に接している。同区総面積は12.64平方キロメートル。
同区東部には大阪市の鉄道玄関口である新大阪駅があり、JR、私鉄、地下鉄と交通が区域を縦横に延び、交通の要衝としての機能を果たす。新大阪駅周辺はオフィス街として賑わいを見せ、日清食品グループなど大手企業の本拠地となっている。
大阪府・大阪市淀川区のマンション
2018年に大阪府・大阪市淀川区で販売された新築マンションは1380戸。中古マンション相場価格は1960万円~4130万円である。
大阪市淀川区の人口は、2019年1月現在、17万7646人で、総世帯数は10万2080世帯。
1925年(大正14年)4月、大阪市第2次市域拡張が実施され、それまでの西成郡中津町、神津町、西中島町、北中島村が大阪市に編入され東淀川区となった。1843年(昭和18年)4月、大阪市22区制にともない、淀川以南の地域を大淀区に分離し、西淀川区の一部を東淀川区に編入した。1974年(昭和49年)7月、大阪市行政区画再編により、JR東海道線以東の区域を分離し淀川区が誕生した。
同区域の産業は江戸時代、農業が中心だった。旧くから中津川(現在の淀川)の洪水に悩まされながらも、肥沃な農業地帯であった。地域の農民は自力で中島大水道を開削し、加島には幕府の銭座がおかれ、伝統的に工芸の盛んな土地で「酒は灘、銭は加島」といわれるほど、良質な銭貨が生産されていた。現在では、卸・小売業、飲食店を中心とする商業地だ。
1964年、東海道新幹線と地下鉄駅の「新大阪駅」開業で激変した街
1960年代に入ると、東海道新幹線の工事がはじまり同区内では「新大阪駅」の工事がスタート、農村だったのどかな町だった区域が激変する。東京オリンピック開催の1964年(昭和39年)9月24日に地下鉄「梅田~新大阪駅」間が、10月1日に新幹線が相次いで開通し、新大阪駅が開業した。 1970年(昭和45年)に新御堂筋が全線開通し、地下鉄御堂筋線の延長、万国博覧会の開催などで新大阪駅は、全国から多くの旅行者を迎える大阪の表玄関となった。現在では、高層ビルが林立する副都心と呼ばれるエリアとなった。
1997年(平成9年)3月には、JR東西線が開通し「加島駅」が設置され、都心へのアクセス性が飛躍的に便利になった。2000年(平成12年)3月、阪急宝塚線「三国駅」付近の全線高架化が完成するなど鉄道整備が進んだ。
進む、淀川の抜本的な浸水・洪水防止策
東淀川区の項でも触れたが、淀川の抜本的な浸水・洪水防止策として「淀の大放水路」が淀川北部の行政区(西淀川区、淀川区、東淀川区)で、1991年(平成3年)度から建設が進められている。現在、淀川区、東淀川区内の工事完成区間を利用して、1997年(平成9)年9月から合計5万立方メートルの雨水を一時貯留できるようになっている。2006年からは7.5万立方メートル、さらに、翌2007年には9.5万立方メートルの雨水を一時貯留することができるようになった。
淀川区の産業としては、卸・小売業、飲食店を中心とする商業活動が中心だ。が、機械器具製造業、金属製品製造業などの工業活動も盛んだ。
阪急の3路線が集まる十三駅周辺は繁華街として商業施設が密集しており、激しい往来で活気に溢れる。同区の商・工業活動による生産額は、ともに大阪市の上位にある。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道