大阪府吹田市の特徴を知る
大阪府「吹田市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
“ビール工場と操車場”の街が万博を経て大阪市のベッドタウンへ
大阪府吹田市は、大阪府の北部に位置し、南は大阪市、西は豊中市、北は箕面市、東は茨木市および摂津市に接し、東西6.3km、南北9.6km、総面積は、36.09平方キロメートルである。その地勢は、北部の北摂山系を背景として標高20mから116mのなだらかな千里丘陵、南部は安威川、神崎川や淀川の堆積地がつくる標高10mほどの低地で形成されている。
古代から近世に至る長い歴史を持つ吹田市には、国や大阪府、吹田市の指定文化財や登録文化財が数多くあり、なかでも旧西尾家住宅(国の重要文化財)と旧中西家住宅(国の登録文化財)は、近代和風建築を今に伝える重要な建造物だ。
大阪府・吹田市のマンション
2018年に大阪府・吹田市で販売された新築マンションは1479戸で、相場価格は3313万円~5507万円。中古マンション相場価格は1960万円~4830万円である。
大阪府吹田市の人口は、2019年1月現在、37万1715人で、総世帯数は17万1593世帯だ。
明治9年「吹田駅」開業、その後“ビール工場と操車場”の街が発展
1876年(明治9年)、すでに大阪~京都間に鉄道が開通し「吹田駅」が開業した。1889年(明治22年)、町村制施行にともなって島下郡吹田村が発足。1891年に、大阪麦種(現:アサヒビール)が創業する。1923年、吹田操車場が完成し、吹田は「ビールと操車場のまち」と呼ばれるようになった。
1921年、北大阪電気鉄道の十三~淡路~豊津間が開通。東吹田駅/西吹田駅(現在の阪急吹田駅)/豊津駅が開業した。
1940年(昭和15年)4月に三島郡吹田町、千里村、岸部村、豊能郡豊津村の4町村が合併し「吹田市」が誕生した。翌1941年(昭和16年)に太平洋戦争がはじまり、終戦間際の1945年(昭和20年)6月、米軍による相次ぐ大阪大空襲で、吹田操車場、吹田駅周辺、豊津、片山町などが空襲によって大きな被害を受けた。
千里二ユータウン計画で、大阪市のベッドタウンとして成長
戦後間もなく三島郡新田村の下新田地区と三島郡山田村を合併し、ほぼ現在の市域となった。その後、市域で1956年(昭和31年)、初期の公団住宅である千里山団地が完成。1960年に千里二ユータウン計画が発表され、大阪都心から10km圏のベッドタウンとして成長する。1970年、大阪万国博覧会が同市で開催され、世界から「6421万人の観客」が吹田市を訪れ、まさに新しい時代の幕開けとなった。現在、同市は特例市となっている。
「北大阪健康医療都市」を標榜する拠点
市内には6つの大学・研究機関(大阪大学、大阪学院大学、関西大学、千里金蘭大学、大和大学、大学院大学を有する国立民族学博物館)、先端医療施設である国立循環器病研究センターや大阪大学医学部付属病院ならびに、日本で有数のバイオサイエンス研究機関を擁し、文化・学術・研究環境が充実している。
また、吹田操車場跡地では、新たな都市拠点へ土地利用の転換を図る目的で、都市計画道路や公園・緑地、ライフラインの整備・土地区画整理事業を進めている。2018年(平成30年)に予定されている市立吹田市民病院の移転開業を控え、国立循環器病研究センターを中心とする医療クラスターの形成に向け、基盤整備に取り組んでいる。「循環器病予防の象徴」と呼ばれる街を目指し、「北大阪健康医療都市」を標榜している。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道