大阪府池田市の特徴を知る
大阪府「池田市」の特徴 ― ニッポンの自治体 ―
大阪市都心まで阪急電車で約20分、都市基盤が整う住宅都市
大阪府池田市は、大阪府の北西部に位置し、古くから交通の要衝として栄え、南部に大阪国際空港、東西に中国自動車道、南北に阪神高速道路と、大阪都心部に近く交通アクセスに恵まれた都市だ。加えて、西には猪名川、北に五月山など、水と緑にも恵まれた街でもある。
江戸時代には、酒造り、細河郷の植木を筆頭に、近郷の物資の集散地として商業が栄え、加えて著名な文人や学者の来往により多彩な文化が開花した。
応神天皇270年のころ、呉の国の首都蘇州から穴織(アヤハトリ)呉織(クレハトリ)のふたりの織り姫がこの地にわたり、織物や染色の技術を伝えたという“織り姫伝説”が残る街だ。
大阪市都心の梅田まで阪急電車で約20分の市域。同市の総面積は22.14平方キロメートルだ。南北に細長い地形をしている。
大阪府・池田市のマンション
2018年、大阪府・池田市で販売された新築マンションは114戸、相場価格は3110万円~4536万円だった。中古マンション相場価格は1750万円~4480万円である。
大阪府池田市の人口は、2019年1月現在、10万3655人で、総世帯数は4万8957世帯だ。
昭和30年代にベッドタウンとして成長した「教育・文化・健康都市」
市内中央にある五月山公園は、春の桜、秋の紅葉で市民に親しまれている。開設時に日本一小さな動物園といわれ、オーストラリアにしか生息していないウォンバットを飼育する「五月山動物園」がある。現在、日本で二番目に小さな動物園という説が主流だ。
1939年(昭和14年)、大阪府内6番目の市として市制を施行して池田市が誕生。当時の人口は3万5494人だったとされる。戦後の1947年(昭和22年)、戦後初の公選市長として、故・武田義三氏が当選する。昭和30年代に入り市内に公設の池田団地、五月ヶ丘団地など、次々に入居が開始され、大阪市のベッドタウンとして人口が増加した。
下水道普及率100%など都市機能および充実したストックが特徴の住宅都市で、1962年(昭和37年)、大阪府の自治体としてトップを切って小中学生教科書無料配布をスタートさせた。その後、同市は「教育・文化・健康都市」とすることを宣言した。
1979年、阪急池田駅高架化事業がスタートし、同駅前再開発が本格化する。
インスタントラーメン発祥都市、子供3人家庭にダイハツ車無料貸与
3人目の子供が生まれた時に、ダイハツ本社から「3年間ダイハツ車が無償貸与され、その後は安く譲り受ける事ができる」という、ダイハツ工業本社がある池田市らしい独自のサービスを行なっている。
また、日清食品HDの創業者・安藤百福氏が池田市の自宅で、1958年(昭和33年)に世界初のインスタントラーメン「チキンラーメン」を開発した。そのため池田市には「インスタントラーメン記念館」(1999年開設)がある。管理運営は、日清食品の関連団体である安藤スポーツ・食文化振興財団が行なっている。
同施設では、チキンラーメンの開発が行なわれた研究所の小屋(安藤百福宅の裏庭にあった研究小屋)が再現されており、インスタントラーメンの歴史に加え、その後のカップヌードルの製法・歴史が模型で展示されている。
400年以上の歴史を誇る日本を代表する植木の四大産地
また、池田市細川地区は、埼玉安行、愛知稲沢、福岡久留米とならぶ植木の日本四大産地であり、400年以上の歴史がある。生産農家約200戸が細河地区など余野川沿いを中心に約100ヘクタールで栽培している。池田の植木の歴史は15世紀末から始まる。山林用苗木から始まり、後に庭木へと移り、江戸時代中期にはさまざまな植木が生産されたという。池田市の細河地区が日本四大産地のひとつとして発展した背景には、好条件が重なっていたからだ。その好条件とは、にわか雨が多く、良質の赤土が取れ、殺菌作用があるイオン化金属を含む水など、植木がよく育つ自然環境に恵まれていたこと。大消費地である大阪、京都が控えていたことなどが挙げられる。
公開日:2020.01.06著:吉田 恒道